わたしはいつも空ばかり見てぼんやりしている、と親や教師を怒らせたり、心配させている子供だった。


しかし、わたしは決してぼんやりなどしていなかった。

わたしはその頃、空はなぜ青いのか、雲はなぜできるのだろうかと、その謎を解くことに夢中になっていたのだから、教師や親の言う事など耳に入るはずがないではないか。

わたしは謎の解明に忙しかったのだ。


そんなに熱中したことでも、40年以上も生きて、悲しい哉

「人間の目に青く見える光を反射するから、青く見えるのです」

以上の知識を持っていない。

小学生の科学の知識レベルである。


わたしは夫に、なぜ空が青いのか、雲はなぜできるのかと訊くのが好きだった。


地質学も一通り身につけていた夫は、いつも張り切って教えてくれた。


それは必ず

「まず、水蒸気が」で始まる。

そして可視光だの光の屈折率だの、挙句の果てには、プレートテクトニクス論だの、わたしにはちんぷんかんぷんな事を延々と語るのである。


実はわたしは夫の説明を、全く理解する気も、覚える気もなかった。

ただ、夫の説明を聞いている内に気持ちよく眠れるのが好きだったのだ。


わたしもおかしいが、夫はもっと変わっていた。

なぜなら、何度空が青いのか訊ねても、いつも少しも嫌がらず、嬉々として詳しく教えてくれるのだから。

だからわたしは、一切、夫の説明を覚えようともしなかった。


今、わたしはそのことを心から後悔している。


なぜ、学者から特別な個人レッスンを何度も何度も受けたのに、その有難さを感謝して学ばなかったのか。


なぜわたしは夫の説明を紙にでも書いてキチンと学ばなかったのか。

わたしは本当に何ひとつ覚えていないのである。


少年老い易く学成り難し

一寸の光陰軽んずべからず

いまだ覚めず池塘春草の夢

階前の梧葉すでに秋声


わたしの勉強嫌いを説教する時、母はいつもこう言ってから始めた。


そうだ、わたしの人生はもう秋を迎えているのだ。