ロゼッタビューティー
松尾はるみです
お見舞が終わって
札幌に帰ってきました
苫小牧には
高校の時の仲よし同級生が住んでいるので
連絡をしたら
叔母の入院している病院のすぐそばに住んでいて今日は仕事が休みというので
JRの時間より少し早めに
車で迎えに来てもらい
コメダ珈琲店で
会わないでいた2年間の出来事を
一気に喋りまくり
特に
お互い引っ越しをしていたので
そのネタでずいぶん盛り上がりました![デレデレ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/047.png)
![デレデレ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/047.png)
楽しかった![ルンルン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/087.png)
![ルンルン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/087.png)
そして
入院している叔母は元気で
私が行くと
もうすでに
兄夫婦も来ていて
そのあと
入院してる叔母の妹である
もうひとりの叔母も叔父と一緒に来て
かなり賑やかに![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
病人の叔母は一番元気で
皆に飲みものや菓子を振る舞い
何度もありがとうと言う
こちらの方こそ
元気そうにしていてくれて
ありがとう![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
叔母二人は私の母のような存在です
稚内で経営していた親の店の厨房で
私が2歳の時に大火傷をしたのをきっかけに
小学校へあがるまで
母の実家である日高で
叔母二人と祖父母に預かってもらっていました
なので
小さい頃の私の記憶に
稚内の父や母や兄や姉は全くでてこず
日高の山と馬と
祖父母と二人の叔母ばかりが登場します
まだ20代だった二人の叔母に
「今日はどっちのおばちゃんと寝るの![!?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/094.png)
」
![!?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/094.png)
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/084.png)
とか
「どっちのおばちゃんが好き![!?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/094.png)
」
![!?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/094.png)
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/084.png)
とか聞かれて
子どもながらに照れたり困ったりして
溺愛されていた記憶が主です
叔母が保母さんをしていた保育園が
家の隣にあったので
自由に行ったり帰ってきたりして
家ではリカちゃん人形とリカちゃんハウスで
気のすむまで遊んでました
父が亡くなって
母と日高へ戻り
中学と高校時代はまた叔母たちと暮らし
反抗期には反抗する日もあり
めんこくない態度をとったことを後悔してます
叔母たちが
働きながら私を成長させてくれたことに
感謝をしてもしきれません
母の日には
毎年プレゼントするけれど
そんなもんじゃ全然足りない
まだまだ長生きしてね![流れ星](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/090.png)
![流れ星](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/090.png)