歪なバディ2〜黒衣の探偵と推理作家の日常的非日常

 

 

「〆切、おつかれさん」

 担当への原稿送信を終えたタイミングを見計らって置いた珈琲に、たった今まで惨劇の館へ没入していたミステリ作家が顔をあげる。

 さらりと揺れる黒髪に縁取られたなめらかな輪郭、陶磁器のように透き通る肌、光をともす琥珀色の瞳、すっと通った鼻筋から触れたくなるほどに艶めく唇へのライン。
 ガラスケースの中の人形のごとくヒトの熱を感じさせない美貌が、数回の瞬きを繰り返したのち、


「ありがとう、恭一郎」


 花の蜜のように甘くとろける笑みを浮かべてみせた。
 

「どういたしまして」


 ラリック美術館に展示された繊細なガラス細工を思わせる造形美の上に感情が乗り、こちらへ反応を返してくれる時、彼岸から此岸へと戻ってきたと安堵する。

「うん、恭一郎の淹れてくれる珈琲がいちばん美味しい」

 挽きたての珈琲の良い香りが好きだと言ったその流れで、告げてくる言葉はどれも耳に心地よい音色を湛えている。

「そうだ、久我くんから改めて連絡行くけど、今回の新刊も、表紙は恭一郎の人形を使わせてもらうね」
「ああ、担当からはすでに予告の予告が来てたぜ」
「え、早い」
「昔の作品だが、気に入ってもらってんなら光栄だ」
「キミが作る人形は創作の要だよ。どれも眺めてるだけで"天使"がよく囁いてくれるもの」
「オレの人形がアンタのミューズだってんなら、最高の褒め言葉だな」
 

 口の端を吊り上げ、机に手をつき、顔を寄せて笑って応えた。

 至近距離で観ても、その美貌に揺らぎはない。

「それで、事務所の依頼はどう?」 
「ああ、現地に向かう案件がひとつ残ってる。ある集落の周辺で不可解な現象続出だとよ」
「ご一緒しても?」 
「当然だ。調査に入るための準備ももう整ってるしな。すぐに出れる」
「さすが恭一郎だね」
「お褒めの言葉をどうも」

 アンタの〆切明けを待っていたんだ。
 そう言外に含めて告げれば、作家先生の笑みはさらに華やぎを増す。

「オレは、"名探偵"じゃないからな。この案件はむしろアンタの出番だ」
「え、恭一郎は探偵だよ?」
「"職業探偵"ってヤツな。アンタが書くような本格ミステリにオレみたいなやつは登場しないだろ?」
「そんなことないんだけどね」

 けぶるような睫毛の奥で、琥珀の瞳が蠱惑的な色を帯びた。
 白く細くしなやかな指先がこちらに伸びてきて、頬をするりと撫ぜる。

「一部の隙もなく着こなした黒スーツに白手袋、陽に透けると金色に見える長い髪をひとつにまとめ、鳶色の瞳はこの世ならざるものすら見通す。あらゆることを記憶し、決して忘れない。抱える痛みに寄り添い、手を差し伸べてくれる、その決まり文句は、"俺は優しい男だから"ーーね、初恋には申し分のない男なんて言われてるのを知ってたかな、黒衣の探偵さん?」

 つらつらと歌うように告げて、それからふいに相好を崩し、いたずらげに笑う。


「キミは主人公だよ。物語にしたくなる。でも、安易に消費されるのは業腹なんだよね」
「相棒の欲目、ここに極まれり、ってヤツだな」
「審美眼には定評があるんだけど?」
「まあ、どちらにせよオレの本質は『名探偵』じゃないんだ。その称号はむしろ、アンタにこそ相応しいだろ?」

 探偵の助手と称してオレの隣にいるアンタにこそ、ソレはふさわしい。
 知的好奇心。
 謎を謎のままにしておけない、解き明かすことそのものを楽しみ、いわゆる世間一般が称える善悪の基準からはズレた己の美学と価値観で世界を視るもの。
 見えざる世界、あらざる現象にも、隔てなく微笑みかけて解き明かすもの。

「そもそも、オレは探し物が得意なだけで、謎解きには興味がねえんだ」
「恭一郎は、真相も見つけるでしょ」
「探せば見つかる場所に置かれてありゃ、いやでも目につくだろ」

 情報というピースからパズルを組み立て、探し物を見つけ出すだけの、その過程でたまたま事件が解決されていっただけの、探し物専門の探偵だ。

「ホントにそこは譲らないよね。でも、うん、君と出かけられるならそれでも嬉しいけどね」


 さあ、出かけよう。
 コーヒーを飲み干し、するりと立ち上がる。
 部屋のクローゼットへ向かい、軽く身支度を整える、それすらも優雅な所作を眺めながら、想う。


 アンタは知らない。

 オレの本質は、探し屋だ。
 探して探して探して、さらに探すために探偵資格を取り、事務所を構えただけだってことを。


 アンタは覚えていないはずだ。
 14年前の冬、クリスマスの夜――白銀に染まった河川敷で佇むアンタへ声をかけたあの日のことを、オレは今でも鮮明に想い出せる。
 月明かりに照らされたあの一幕は、網膜に焼き付いて消えることもない。


『こんな時間にこんなところで何してんだ、アンタ』


 声をかけていた。
 儚げで、危うげで、手を伸ばし、声をかけずにはいられなかった。
 

『こんな時間にこんなところで、見知らぬ人間の心配をしてくれるの?  ……ん、別に飛び込んだりはしないよ』
『……別にそんな心配をしたいわけじゃない』
 

 そんなオレに、アンタは向き直り、笑いかけた。
 

『今、運命の恋人が帰ってくるのを待ってる最中なんだよ』
『……何を言ってんだ』
『知らない? 誰にでも一生に一度の運命の出会いが必ずあるの』
『運命って』
『探して、見つけて、この人だと確信できたら、何があっても手を離しちゃいけない。どんな手を使ってでも。……でないと』

 距離を詰められ、耳元で紡がれた囁き。

『……自分みたいになる』
 

 今まで触れたことがない、見たことのない形に抉られた傷口、知らない痛みの色に、胸を突かれた。
 

 

 "運命"を説かれた日から、あの一瞬の邂逅の時から、すべてが変わった。
 アンタを見つけ出すためだけに14年を費やした。
 あの瞬間がオレの原点だと言ったら、探偵業も創作も、すべてはアンタを見つけるためだったと言ったら、どんな顔を見せてくれるんだろうか。
 そして。
 アンタを見つけたのちもオレが探偵を続け、人形を作り続けているのはすべてアンタのそばにいるためだと、その好奇心と創作意欲を満たすためだと伝えたら、どんな言葉をよこすのだろう。


 ほんのわずかに好奇心が疼く。
 

「恭一郎?」

 天使の石膏像のように現実感のない美しい存在に名を呼ばれるこの幸福の味を、アンタは知らない。

「なんでもねぇよ。それじゃ、よろしく頼むぜ先生」
「こちらこそ」

 運命の恋人の帰りを待っていると言っていたアンタが今、オレの助手を名乗ってくれるこの優悦と幽咽の味を、アンタは知らない。
 だが、それでいい。それがいい。
 あらゆる感情を胸のうちに沈めて、オレは名探偵のために、事件現場へと続く部屋のドアを開けた。

 

 

 


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