あと数日で60歳になる。
自分が思った60歳より、自身の中身は若い頃とほぼ変わらず、外見だけはそれなりに変わった感覚…
親に薦められたまま、看護師になった。
本当は音楽に関わる仕事がしたかった。
でも親の言うことをきく良い子だったのかもしれない。
反対されたけど27で結婚をした。
息子3人に恵まれ、大変な子育て時代も今思えば幸せでかけがえない時間だった。
旅館に嫁ぎ、身を粉にして休みもせず働いた時期は大変だったけれど、自分の感情を抑える訓練やどんな人とも関われるコミニュケーションスキルが身に付いた。
その経験はその後の私を助けてくれる。
どんな経験も財産だと感じた。
紆余曲折18年ぶりに看護師に復職した15年前、あえて救急車が毎日来るような病院を選んだ。
今思えば44歳の私は自分に負荷をかけることを選び、子供達にも逃げないチャレンジャーとしての姿を見て貰いたかった。
幾つになっても人生はやり直せるんだと…
職場には果たしてこの人仕事ができるの?と不安がられた筈。
最初は、何をするにも師長さんが私に不安げに寄り添い日々見守ってくれていた。
18年ぶりだもの。
仕方ない。
しかし注射の針を刺す感覚も、体って記憶していたことに驚いた。
毎日着物を着ていた環境から、動きが段々と看護師に戻っていったのも面白かった。
その時の師長さんから、長年の接客業が貴女を助けてくれている。
ブランクを感じない仕事振りに感動さえしていると、評価表に書いてくれた。
嬉しかった。
半年後、脳外科、胸部外科、神経内科、整形外科、外来癌化学療法、脳血管撮影、救急車対応迄、他のスタッフと同じように働けるようになっていた。
新しいことを学ぶのが楽しくて、家事が終わると毎晩学んだ。
新しいことはそれやらせてくださいと貪欲だった。
今同じことができるかな?と思うほど
息子達を不安にさせたくない。路頭に迷わせない。
子供の存在は偉大。
母を強くしてくれた。
息子はいつも勉強していた母の姿が記憶にあると言う。
悪い姿じゃないからブラスになっていたなら良かった。
その後総合診療の診療所に開院まもなくから12年2ヶ月勤め、1月末退職した。
離れて暮らす父…
2年前心臓に人工弁を入れた。
介護認定が進まず介護休業をマックス取った。
その後は看護小規模多機能で泊まりを利用しながら、月に1回は帰れるようにした。
認知症が進み動きも緩慢に、冷蔵庫から食品をとりだし電子レンジをかける事さえ出来なくなり、準備された物を食べる。食べたことさえ忘れる。トイレもほぼ間に合わない。
一人では何も出来なくなった。
あと3ヶ月で92歳になる。
人は十分すぎる年齢と思うかもしれない。
だけど、私を大切になんの不自由なく育ててくれた父。
思いやりがあり温かな人。
19年前に亡くなった母の介護も一人でやっていた。父は60歳の定年後、7つ下の母のお弁当も作って夕飯も作り、カラーもしてあげて、肩凝りの母を良く揉んであげていた。
私達が知る優しく偉大な父は、今はまるで子供に戻っている。
母の時は悔いしかなかったから、沢山悩んだ。
人から何を言われたとしても、人が変わりに私を生きることはしてくれない。
自分の問題。
悔いは残したくない思いと仕事の狭間で日々揺れた。
結局は全ての答えは自分の中にある。
優先すべき事を漸く決断した。
今の最優先、笑顔で父親と過ごす時間。
美味しいと食事ができるうちは好物を作ってあげたい。
看護師で沢山の患者さんを支えても、自分の親に出来ないのは、やはり違うと思えたから…
私は退職をした。
とりあえず丁寧に過ごすこれからの時間が、今は何をすべきか?これからの未来をどう選んでいくか?を教えてくれると思っている。
立ち止まりではなく、ポジティブ思考が何かに挑戦する過去から繋がる点を、またその学びから気付かせてくれると思う。
今回の行動は還暦女の未来に繋がる挑戦なのだ。