私が米国を出国する日が
刻々と近づいていった。
辞典のような?!
分厚い離婚書類のサインも
終盤に入っていた。
私がショットガンを振り回した成果?が
どうやらあったようで、
(国際離婚へのデコボコ道横道迷い道9、10)
それ以後は
元夫も真面目に?離婚書類に取り組んでいた。
子供達は毎年、夏休みには
日本にいる私に会いに来るという事を
お互いに同意した。
そしてその子供達の渡航費は
元夫の負担のはずだった。

米国軍人が軍をリタイアすると
年金というものが懐に入ってくるのだが
離婚しても、ましてや
20年間も一緒に連れ添った元妻は
その半分を
もらえる正当な権利が認められている。
財産分与を一切しなかった私には
そのお金は
日本でのゼロからの再出発に向けて
生活立て直しの役に立つだろう。
正式な離婚後
毎月、それは私の米国の銀行口座に
振り込まれる予定だった。
元夫はそれを納得していた。
いや、納得していたはずだった。

私が夜な夜な、夜逃げ人のようにして
荷物を箱詰めしたダンボール箱たちも
この時点では、日本への送料は私と元夫で
半々のはずだった。

国際離婚では特に
弁護士は雇うべきだったと、帰国後に
思い知らされることになる。
元夫の人間性を
最後に信頼してしまった自分が愚かなのだが
もっとも、信頼できる相手ならば
そもそも離婚などはしないはずなのだ。

国際離婚でも国内離婚でも
離婚を脳裏に少しでも考えていたら
水面下で弁護士を雇えるお金を
しっかりと貯蓄しておこう!と
皆様に伝えたい。

長女が私のために思いついてくれたのが
委任状(power of attorney) を
裁判所に提出しておく事だった。
家の名義は共同名義のままだし
何かトラブルが起きても
私の銀行関係の事も全ての権利を
成人している長女に委任ができる。
早速、裁判所へ行き、手続きをした。
80ドルの出費だった。

最後に帰国後に通う
催眠療法士のスクール選びだ。
東京にはたくさんとある中で
決めてとなったのが
卒業後も、アフターフォローや
サポートが万全だとうたわれている
スクールが1箇所だけあった。
メールでいろいろと質問をしてみると
とても親切に受け応えてくれて
卒業後も安心できるスクールだった。
よし!ここに決めよう!

明日に向かって
今日という日を、悔いなく
希望を持って生きること。
それが今の私には必要な事だった。

しかし、帰国後は
日本国内の事もよくわからず
ずっと専業主婦で世間知らずだった私を
いろいろな落とし穴が
待ち受けていたのだった。





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