「傷のことと守ること」
「大人とは?」
傷は、なかったことにはならない。
つけられた傷も消えてはなくならない。
しかし、保護し守ることは出来る。
気をつけることも出来る。
私たちは、いつだって「出来る」のだと言うこと。
「大丈夫」なのだと言うこと。
私の良さを良く理解してくれている少数の友人や師たちは、私にそのように言い続けたし、私もまた、子供たちや相談者の方、道に迷っている友人たち、泣き言ばかり漏らす男たちや過去の恋人たちにそのように言い続け励ましてきた。
時々、傷をこじ開けたり、デリカシーなくわざととも思えるかのように石をぶつけて来るような人にも会う。
自分の幼児性がどれだけ人を傷つけているか分からない人々(もしかしたら分かっているのかも知れない)。
そう言う駄々っ子や社会性の薄い人々に比べて、大人たちとの関わりは楽だ。
広い世界を知っている人たちは無配慮に人を傷つけない。
心地好い時間を共有出来る。
生きることそのものに品の良さがある。
大人たちは人の痛みに敏感だ。
配慮したり思いやる強さや優しさがある。辛いのは自分だけではないと言うことを経験から知っているし、想像出来る力があるから。
これを「包容力」と言う。
或いは「受容する力」と言う。
簡単な言葉で言えば「優しさ」だ。
僕が!僕が!
私が!私が!
俺が!俺が!
ではなく
「あなたは?」
と尋ねることが出来る優しさ、強さのこと。
だが、大人の人々は、人にそれをするように、自分にも優しさを投げかけたいものだ。
大人はつい自分のことを後回しにしてしまうから。
自分を包容(抱擁)し受容しよう。
自分で自分を守る(護る)。
(でも人からも守って貰おう)
大人とは「守る」ことが出来る人のことだと私は思う。
自分のことも人のことも。