3歳最強ステイヤーが決まる「菊の季節」が、今年もやってきました。


昨年は、先日の凱旋門賞に挑戦したタイトルホルダーが勝利したのも記憶に新しいところ。


それ以前にも数多くの名馬が制した菊花賞の歴史においては、いかにもステイヤーという馬の名前がよく見受けられます。

ヒシミラクル、ライスシャワー、スーパークリーク…。



では、福山競馬史上でサラもアラも問わず最強のステイヤーは?と問われたら、どうでしょうか。

きっと、ブラウンバツトを挙げる方が多いのではないかと思います。



そんなわけで、今回は最強ステイヤーの誉れ高きブラウンバツトを紹介します。




まずはじめに、1986(昭和61)年生まれのブラウンバツトの血統面について。


父はフランスからの輸入種牡馬アリラバツト、母はサラブレッドのニツセイラナー。


おや? お母さん、サラブレッド?


どういうことかと言うと、日本では血統中に占めるアラブの割合を「アラブ血量」と称し、25.00%以上をアングロアラブとして認めていたんですね。

アリラバツトはこのアラブ血量が50.00%で、アラブ血量0%でもあるサラブレッドと交配しても(足して2で割っても)25.00%ギリギリに収まります。


平地競走を走るうえでは、やはりスピードを得るのが勝利への近道。

サラブレッドのスピードを取り入れようと、「50%アラブ×サラブレッド=25%アラブ」の生産は古くから行われてきたのでした。



と、そんな血統背景がありながら、スピードよりもスタミナにパラメータを振ったかのようなブラウンバツト。


1988(昭和63)年の旧3歳でのデビューは、新馬戦、2戦目の800mはいかにも短かく、2戦未勝利。

1250mに延びた3~5戦目は、3戦1勝と少し前進。

1400mに延びてからは6戦目のジュニアカップに勝利して、2戦1勝で1組(世代最上位クラス)入りを決め、距離延長とともに着実な上昇カーブを描きます。



しかし、さらに距離が延びて1600mとなった4歳初戦の若駒賞以降、やや苦戦を強いられます。



同世代には、牡馬にアサリユウセンプー、牝馬にニホンカイローレルというスピード&スタミナ兼備の超強力ライバルがいて、そこに道営から転入の岩見沢850mレコードホルダー・センコーフアーストも加わり、スピード勝負のレースが繰り広げられていたからでした。


姫路競馬場に遠征して挑んだ福姫交流は、センコーフアーストから2秒1差の10着大敗。

1800mの福山ダービーでも、アサリユウセンプーのスピードに歯が立たず、遅れること3秒0差の7着完敗。


その後、アサリユウセンプーが園田・楠賞で日本一に輝き、センコーフアーストが同レースで非業の死を遂げた裏で、ブラウンバツトはコツコツと実力を培っていきます。



銀杯3着、C1特別の蔵王賞2着、さらに鞆の浦賞ではアサリユウセンプーとの差を春から大幅に詰める1秒0差の2着など、1800mのレースで上位入着を重ね、本格化が見え始めました。

 





(鞆の浦賞ゴール前。大外の黄帽がブラウンバツト)





その次戦の、2250m初挑戦の西日本アラブダービーはかかり気味に先行して末脚をなくす6着となったものの、続けて2250m戦に挑んだ4歳三冠最終戦、アラブ王冠。





 





福山エースの解説にもあるとおり、「入着以上の期待がかかる一戦」「馬体のハリがきわだつ」など、もはや重賞でも無視できない1頭の評価を得るに至っていました。



内枠に揃った逃げ馬3頭の先陣争いを見るポジションを手に入れたニホンカイローレルの立ち回りには及ばなかったものの、後方待機策から0秒4差まで迫る2着。


勝ち味には遅い3、4歳時ではありましたが、古馬になっての飛躍を予感させる締めくくりでした。





(つづく)