福山競馬場歴代所属騎手【た行】 を更新しました。

 

福山競馬場歴代所属騎手【た行】 概説編に追記しました。

 

福山競馬場歴代所属騎手【な行】 を更新しました。

 

 


な行の順番がやってまいりました。

 

前回同様、今回も、そしてこれ以降も、な行の更新をお知らせする際は、那俄性哲也騎手(調教師の場合も)のお姿がある写真を勝手に紹介させていただきます!

 

 

 


 

 

 

ピントが…。

 

1991(平成3)年の第7回キングカップを勝ったマグニマークスです。

 

このレースを含めて重賞2勝は立派な実績ですが、それにより得た賞金で格付けされたクラスは、実力からすると場違いであったかもしれません。

 

苦戦を重ねたのち、益田競馬場へと転出していきました。

 

 


マグニマークスと同じく那俄性裕厩舎に所属した母ミノルマークスは、私の記憶が正しければ、繁殖生活最後の年は乗用の血統の馬と交配されたはずです。

 

アラブ系競走が消えゆく中、繁殖牝馬たちの生きる道を…との試みで補助金がついたんじゃなかったでしょうか。

 

ただ、うまくはいかなかったようです。

 

個人的には「そういうお金の使い方より、いかにレースを増やしていくか、サラとの共存共栄を図るか…じゃないの?」とモヤモヤした気持ちと絶望感が強くて、2000年ごろから数年は本当に競馬から気持ちが離れていました。

 

 


おっと!那俄性先生と全然関係ない話が延々!笑