5年前の3月11日。
私は地下鉄東西線日本橋駅のホームの上におりました。「地震じゃないですか?」と、私が言うまで周りの人たちは気が付かなかったようでした。地下は地上ほどに揺れは激しくなかったのです。
すぐに駆け上がり、改札をすり抜けて地上へ向かいました。ところが、地上への階段に差し掛かった時、階段を上がる人の列がなかなか進まないのです。激しい横揺れで手すりをつかまえても体を支えられず動けなかったのです。外に出ると街は異常な光景でした。人々がみな立ち止まり、上を見たり、こわばった顔で立ちすくんでいました。信号機がガタガタ揺れていました。一目でなにか大変なことが起きたのだと、わかりました。車を降りた見知らぬ人が「東北方面に津波が来たよ」と教えてくれました。
原発のニュースには背筋が凍りつきました。自分は1か月後生きているだろうか。と。まさかと思いつつこれからの日本も生活も今までと違うぞと覚悟をしました。計画停電と余震の続く不安な毎日でした。
被災地ではまだまだ復興が進まず、もとに戻るため、また、ごく普通の暮らしをするために、想像を超える多くの方々が、ふりかかった運命と戦っていらっしゃいます。
自分は5年後、こうして生きています。そして、生活をやり直すべく、家の改装ができるチャンスが自分にあることをありがたく思います。これからはよりちゃんと生きて行かなくちゃ、と決意を新たにしてしまいます。
