ランランラン。



今日は楽しい日です。



母が退院しました。



母のことを書くのはもうおしまいと書きましたが。



やはり嬉しいものです。



すっかり元気になって戻ってきました。



全く忘れていたリビングの椅子に座り、すべてを思い出し、



ハンドとフットのトリートメントの後、スタスタと一人でトイレに行きました。



酸素マスクをつけ、ぐったりし、



死んだ気になってあの世のことばかり口走っていたあの姿は、今や夢か幻か。



下の世話にはなりたくない。



それはまだまだ譲れないことのようです。



デイサービスに行く気満々ですが、その前に介護認定が必要です。



あの元気ではどうなることやらですが、あな、たのもしや。





90歳という年齢。



我が家において前人未到のこの年代は、いずれ30年後の自分たちの姿です。



姉と目配せをしながら、良く見ておこうと誓い合いました。





実は6年前は人工呼吸をつけたりと、もっと危機的状況でしたが、



84歳という若さ(!)だったので、見事よみがえりました。



今回は振り返ってみれば、



あれはほんの風邪のようなものか?と思わせるような回復ぶりです。



良くなるために、看護師さんの言うことを良く聞き、



食事は毎回完食し、リハビリにも励みました。



実家のリビングで再び母の姿を見るのは夢のようでした。





そんな母や、すでに逝ってしまった父を振り返って思うことは、



人間は死ぬ瞬間まで治癒力があるのではないかということです。



完全に元に戻るということはあり得ません。



時間は確実に進んでいるからです。



時間に逆らわずに進んでいくしかありません。



その昔、私たちがその前の世代と交代するようにこの世に出てきたように、



次の世代を担う新しい命が次々と誕生しているのですからね。



新旧交代も自然のことです。



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多くの植物はもっと短い時間でその一生を繰り返しています。



もちろん、気の遠くなるような時間を生きる植物も非常に多いですが、



それぞれにその時代を支え、命をつないでいます。



だからこそ、死に向かって進むことは決して悲観的なものではなく、



その間際まで常に希望は存在しているものだと実感されます。



時間が進む限り、この先も自分を更新し続けること。



それが生きて行く証しのような気がします。



今回も親からさまざまなことを学びました。ありがたいことです。





もしかしたら戦いはこれから始まるのかもしれません。



いろいろご心配をいただいてありがとうございました。



勇気づけられた時、発見した時、母のことをまたブログに書くかもしれません。



皆さまもどうかお身体をご自愛下さいますように。



これからもよろしくお願いいたします。