母は私たちにとってはものすごい人なのですが、ひとたび病院に行くと、
単なるおばあちゃんになります。
看護婦さんはゆっくりと、子供に話しかけるような口調で話しかけます。
それはどうみてもしっかりした母には不似合に見えるのですが、
他人様から見ればそうなんでしょうね。
でも、やっぱり抵抗を感じます。それってなんか上から目線だから。
私もいつか子供みたいに話しかけられるようになるのかしら。
一人の大人としてでなく、独立した人格でなく。保護される人として。
(清里で購入したカモミールキャンディー、まろやかで、ほっとする味です)
最近母を見ていて、また、遠い昔に亡くなった父を思い出して
確信することが一つあります。
人間死ぬ直前まで回復する力がある!と。
いったん悪くなっても、絶対なおるし、
元通りににではなくても、良くなろうとする力があると。
ただまあ、時間とともに出来るようになるのが前進なら、出来なくなるのも前進。
なら時間をかければいいのかと思います。繰り返せばいいんじゃない。
母のように、自分にある力を活かしてずっと仕事をしていたいものです。
この日本では、わずかな年金では生活がなりたたないし、
一人でも多くの人が生産に携わり、仕事をしている方が、
周りの人間にとっても、ひいては国にとってもいいはず。
いろいろ考えていたら、この日本から「老人」という言葉を抹殺したい気持ちになりました。
敬老の日もいっそ、命を祝う日とでもすればいいのではないかと思います。
楽になるのは死ぬ時だ!人生死ぬまで大変なんだ!
だから、楽になろうとか、楽になったらなんて考えないで、
大変な中で楽しんでいこうと覚悟しました。
アハ、そう思ったら楽になったような(笑)。
アロマとハーブを味方にしてね。