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・・・(1)の続きです・・・

第1回の家族食事会のシーンで

みちかねが結婚の希望を述べると

「道隆(愛玩子)は自分で結婚相手を

見つけて来たのにもやもや」と

うっとうしそーに

母親(時姫)に言われます

 

愛され大切にされて育った道隆は

容姿にも恵まれ自信にあふれ

女性にモテモテです

百人一首の赤染衛門の歌

からも分かるように

女性を選び、ふられた女性を

いたく悲しませるような

立場の男性でした

 

 

大切にされず育ったみちかねは

自信がもてず違うのです泣

みちかねが自分も早く結婚

したいと述べたのは

入内(じゅだい)可能な娘を

早く、多くもうけることが

出世の方法だからです

兼家も長女・超子(とおこ)を

冷泉帝に入内させ

超子が寵愛され破格の厚遇を受け

女御になったからこそ

出世できたのです

女児を得た道隆は出世の手段を

手に入れたことになり

その事がみちかねは

羨ましくてたまらない

初回のファミリー食事会は

そういうシーンだったのです

 

しかし兼家は道兼を「汚れ役」を

引き受けさせる道具としか

思ってません

道隆さえ立派に出世できれば

みちかねなんかどうなっても

構わない。。。この落差真顔

 

そして同じ自分の子でありながら

道綱(第5回で舞ってた子)にも

道綱は正妻腹の道隆・道兼

・道長より格下であり

それをわきまえるよう

はっきり言いましたね

寛和の変(花山帝出家)の時は

「見られたら見た人を始末する

汚れ役」を道綱に割当てました

まさに毒親ガーン

 

さて「結婚して娘をもうけ

入内させる」話に戻ります

道兼が結婚した相手は

父・兼家の腹違いの妹

(今だと法律でアウトな近親の

結婚ですが、当時はOKでした)

妻の名前は繁子(しげこ)で、なんと

詮子付きの女房から

懐仁親王(=一条帝)の乳母

出世した女性ミルク

きっと詮子との関係が良い人

だったのでしょうね

繁子との間にできた一女・

尊子は道兼が夢見た通りに

入内しますが、それは道兼が

関白就任後すぐ病没した後の事

道兼は娘の入内を見ずに

亡くなったのです

 

道兼の娘であるお姫様は

道長の娘・彰子より先に入内

しますが、他の妃たちの陰に

隠れてしまうような

立場だったようです

後宮で後ろ見の無い姫は

辛い思いをするのですよね

夢だった娘の入内を見る事も

叶わなかったみちかね

妻・繁子を道隆派の平惟仲

(これなか)に取られてしまった

みちかね

彼はずっとアンハッピー

だったのでしょうか??

史実の道兼は粟田のお邸に

友達を集めて歌会や宴会を

楽しんでいたようです

実は繁子のほかにも妻を得て

男の子達も生まれていました

ピンクハートにっこりニコニコほんわかおねだりピンクハート

そのうちの一人が紫式部と宣孝

の娘賢子と結婚しますウエディングケーキ

 

でも子育てにおいては。。。

嫌がる習い事を長男(福足君)

に無理にやらせて。。。

皆の前での披露の日、道兼の

長男は晴れの衣装を引き裂いて

演技を拒否するのです不満雷

 

その場で子供に助け舟を出し

(道兼長男をリードして

一緒に舞ってあげたのですびっくり

事情を知らない世間から

お優しいラブラブさすがラブ

と賞賛を得るのが

またまた

愛され育ちで自信に満ちた

道隆なんですよね。。。

(『大鏡』)

みちかね哀しすぎる泣

 

以下は勝手な想像ですが

容姿の優れた道隆少年は

周囲の勧めで舞を習う事に

なったのでしょう

美しい容姿で上手に舞い

みなの賞賛を受ける道隆を

うらやましく思っていた道兼

長男・福足君には道隆のように

明るい場所で輝いてほしいと

舞を習わせたのでしょう

舞おうとしない長男を

道兼はどうする事もできません

舞を習得してる道隆が

福足君を助け

そこでまた輝き

賞賛されたのです

真顔

 

同じく『大鏡』の

兄弟エピソードに関する史跡を

金曜日にアップいたします

もしご興味が合えばぜひ

ごらんください

お読みいただきありがとう

ございましたお願い