アクセスありがとうございます

今回は紫式部関連で

いいね!ボタン無いです

ご興味ない方トバシテ下さい!

テーマがバラバラですみません

m。。m

昨年から紫式部関連の
百人一首・入集歌を挙げてます

桜桜桜

⑦の1と⑦の2の続きです

引き続き

和泉式部が初代の住職というお寺

道長が和泉式部に与えた

小御堂が起りであるという

誠心院についてです

門の内壁に展示の『和泉式部縁起絵巻』

1枚1枚ゆっくり眺めたい綺麗な絵ハート

誠心院様の美しいウェブサイトで

じっくり拝見することもできますハート

 
お堂に向かって左下に

あることを知らなければ

見過ごしてしまいそうな

小さな歌碑があります

 

桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜

   霞たつ 春きにけりと この花を

     見るにぞ鳥の声も待たるる

             和泉式部

桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜 桜

「軒端梅(のきばのうめ)」と書いてあり

「この花」とは梅らしいです

和泉式部遺愛の「軒端梅」は

東北院(左京区浄土寺真如町)

というお寺にあるそうですが

式部の梅の子孫の梅なのかな??

 

藤原保昌(=平井保昌・やすまさ)

に求婚されたとき

和泉式部は紫宸殿(ししんでん)

の梅をリクエスト

北面の武士に矢を射られつつ

保昌は梅枝ゲット・求婚成功

というエピソードがあります

和泉式部は梅の花が好き

だったのですね桜

 

お堂の裏手にある宝篋印塔

(ほうきょういんとう)

和泉式部の墓所と伝わる塔

背後にあるのは

阿弥陀如来と二十五菩薩石像

御朱印は宝篋印塔に

向かって右側の

建物内(写っていない建物です)

で授与されます

幾つか種類がある中から

和泉式部の歌と絵が入った

書置タイプの御朱印を

いただきました

京都・新京極に来られたら

街中にぽっかりと開いた

不思議に静かな空間で

ともに美しく歌才に恵まれ

ともに中宮彰子に仕え

貴公子達からの愛に

翻弄される人生を送った

和泉式部と小式部内侍の

母娘の絆

に思いをはせてみられては

いかがでしょうか

 

私の勝手な想像ですが

和泉式部は小式部内侍の

将来について出仕させるしか

道は無さそうと思い悩み

ならば自分が先に出仕し

強固な人脈をつくり娘の活躍の

基礎を作ってやらねばと彰子への

出仕を決意したんじゃないかな

だってスキャンダル後の出仕

なんてゼッタイ陰口きかれる

辛い事いっぱいでしょあせる

目に見えてるでしょあせる

 

娘の将来を思ってまずは母が

頑張って出仕

娘の未来の出仕を見据え

娘のために人脈づくり基礎づくり

和泉式部自身の最初の出仕も

和泉式部母と同じ主人

(冷泉帝中宮・昌子内親王)への

出仕だったとする説もあるとか

「母が先に人脈を築いておく」

これが娘のキャリアに強くプラスで

紫式部も同じ事情・同じ目的が

あったんじゃないかなーと

思うのですが。。。

母子の年齢が近い時代だし

そんなお母さんが実は

結構いたのでは??と。。。

強力な「後ろ見」が無い娘が

それでも生きてゆけるようにと

ひたすらに娘の幸せを

願うお母さんの心

美しいですね乙女のトキメキ

そんなお母さんだったからこそ

娘の早逝を嘆く和泉式部の

哀切な歌は

千年の後も人びとの

胸を打つ

のではないでしょうか

とどめおきて誰を哀れと思ふらん

子はまさりけり 子はまさるらん

「子を残して逝った娘は誰のことを

一番心配して逝ったのでしょう

わが子のことにちがいありません

私も娘のことが一番大切でしたから」

 

これがお母さんなのですね乙女のトキメキ

「娘は親兄弟の犠牲になるのが

正義・美徳

「自分の夫や子より実家・親兄弟を

大切にするのが正義」トカ

ナントカいうのは

どこの国の書物に・

いつの時代に

書いてあったのでしょうね??

 

お読みいただきありがとう