昨日は娘2人と、下の娘の子供たち2人、そして元夫が集まって、6人で食事をしてきました。
本当に久しぶりで、娘の子供たちは初めてお祖父さんに会う形でした。特に説明もしないで、なんとなく馴染んだ感じで、夫がお年玉をあげたものだから、ご機嫌になって、特に質問もしてきませんでした。
でも、上の男の子は、もう小学校4年生。なぜ私に旦那さんがいないのか娘に聞いたこともあったようです。
元夫もこのところ体調を崩すことが多く、入院したり、どうなのかと心配していたのですが、元々とても若く見えるのですが、相変わらずとても若々しくて思っていたより元気そうでした。
私の方は色々な思いがあって、心の底から笑えるとはいかず、やはり少し顔がひきつっていたかもしれませんが、楽しく和やかに美味しいものをいただいて、無事に手術前の晩餐は終わりました。
その場では緊張もあって気づかなかったのですが、このメンバーは私にとって本当に大切なかけがえのない存在で、こうして皆が集結して一緒に食事ができたのも、私が病気になったからだと思います。
まあ、これが最後とはならないと思いますが、手術は何が起きるかわかりませんし、最後の晩餐ではないけれど、入院前にこんな風に集まれるとは夢のようでした。
本当はこうして夫と子供たちや、その子供たちと楽しく暮らすはずでした。
それが叶わなかったことが、どれほど悲しかったかしれません。夫には、別に大切な人たちができてしまったけれど、それがやはりどうしても鉛のように心の中に消えないけれど、そんな自分を「無理もないよ」と責めないでいます。
家族なのに、別の家族のところに帰って行く夫は、どんな気持ちでいるのか、まったくわかりません。私とはあまりにも感覚が違うので。下手をすると、今の彼の子供たちをうちの娘たちに合わせようとするかもしれません。それだけは勘弁してほしい。
私や娘たちがどれほど彼の今の奥さんと子供たちの存在で苦しんできたか、娘たちは父親は死んだことにすると一度は決めたのです。それを夫はそれほどと思っていないかもしれません。
でも、もしかしたら、それほど長く生きられないならどうするかと考えると、やはり皆で会いたいと思ったのです。それで実現しました。でも、許しはできてはいないかもしれません。
聖人ではないので、それでしかたないと思っています。そんな自分を許しています。
楽しかったけれど、ざわざわしたし、とても疲れました。それでも、楽しかったのです。
その時は目の前の人しかいませんし、今1人で部屋にいるときは、もはや誰もいません。
本当はこの人とずっと添い遂げたかったなと思います。
私が1番ほしかったものは、あたたかい家庭でした。
夜お風呂に入った時、少しだけ泣きました。でも、本当に一瞬だけです。
それが人生だし。そして、絵を描いたら、1人でいるからこそ、こんなに好きな絵が描けるわけだし、などと思って、もうこのことで悩むのは終わりです。
がんにまでなるほど悩んで苦しんだと思うくらい。
因果関係はないとも言われますが、わかりません。でも、もう苦しみ抜いたので、病気がきっかけで色々変化もしましたし、手放すこともできてきました。
この世が夢のような幻想なら、そしてただ起きてきただけなら、私がどうこうすることもできないし、夫のことも自分のことも、もう責めなくていいし、今しかないわけですから、深刻にもなりようがないのです。
ドラマだったら、結構面白いと思う自分の人生。魂レベルでは大いに満喫しているのかもしれません。
もう、あんまり考えません。
明日はまた病院です。8時半から採血、入院オリエンテーション、麻酔科の先生のお話、そしてまた自己採血です。
挿絵の仕事もギリギリまであるし、確定申告は諦めて退院してからにします。
現実的な目の前のこともちゃんとやるのです。
そうそう、なぜか娘たちの旦那さんたちは参加できなくて、今回はそれで良かったと思うのです。
やはりすべては完璧なのでしょう。