明智光秀ゆかり探訪【滋賀県】2 | くるくるもぐもぐ日誌

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ロードバイクの関西お出かけ日記と、出かけた先で収穫したおやつの記録です。
相棒は、TREKの Madone6とLexa slxです。
日本史とカフェとポタリングが大好きです。ダムカードを集めています。たまに絵を描きます。
話はたいてい長いですので、お暇なときにどうぞです★

日差しがあるのと、追い風だったのとで暖かいような気がしていたんですが…。




気のせいでした。


さっぶ!


これから行く西教寺は、まあまあ小高いところにあります。

途中の観光案内所に立ち寄って、職員さんに見どころなどを尋ねてパンフレットや観光地図を貰います。




その場でぱらぱらとチェックして、下調べの見落としが無いことを確認し、出発!



日吉神社と書かれた方向に向かって、なだらかに登って行きます。
道路の左右は、きれいな石積みの町並みで彩られていました。



穴太衆(あのおしゅう)という石工の人々が、この近辺の土木を行っていたのだとか。
「穴太衆積み」という美しく堅牢な加工です。

穴太衆と言えば、かの安土城造営の御用も勤めたのでした。
映画「火天の城」にその穴太衆が登場しますが、そのシーンが特に大好きなのです。
自分たちの技に自信をもったその道のプロフェッショナル、技能集団。
憧れるなあ。


穴太衆の技は、現在も伝承された石匠の方(第14代・15代)がいらっしゃるんだそうです。

天台宗の最澄が延暦寺を建てたときに使われた技術が、今もずっと現役で残ってるって。
なんかドキドキするなあ。
自分の仕事が千年続くってどんな感じなんだろう。







整然とそびえた苔生す野面積みを見ながら、目的地目指して登って行きますが…。

しかし西教寺手前になると、急に斜度が上がります。
ここまでノンビリ走ってきたので、体はまだ元気。

一気に上がります。




だいぶ琵琶湖が下のほうに見えてきました。




到着です。

「明智光秀公と一族の菩提寺」と彫られた石碑が見えます。




立派な門でした。

西教寺の門は、坂本城の城門を移築したのだそうです。
良く知らないのですが、移築というのは一度解体してまた組みなおすってことかな。
パズルのように組まれている建築だから、そういうことができるのかな…。

坂本城ってほんと大きなお城だったんだなあ…。


門をくぐると、本堂までの長い砂利道。





車も走っていったし、ブロックタイヤだし、登れそうな斜度かなとは思ったんだけど。
景色を見ながら歩いて登ることにしました。

登り切ったところに勅使門。




ふと横を見ると、雪が残ってました…。




うひゃー。
さぶい!

ここの鐘楼は、坂本城の陣鐘だったんだそうです。
パンフレットには非公開と書かれていたけど…。
今使用されている梵鐘は別物かな?
建物だけの話かな。



本堂です。

この本堂の前に、明智家一族の供養塔があります。




辞世の句碑もあって、眺めてきました。

「従うことも叛くことも別のところにあるのではなく、私の心の根本にある大義に叶うものである。そうやって大義を貫いて生きてきた55年の人生も、まるで夢のように消えていくのだ」というような意味だそうです。
(yahooの知恵袋で回答されていた…)

歌碑にちょっと私が映り込んでますね(笑)


本堂は、内部を拝観させてもらえます。
この後の行程を考えて、「中に入る時間はあるかなあ、やめとこうかなあ」と思案していると、ちょうど寺務所の方が顔を出されて、「拝観の方ですか?」と声をかけて下さったので、つい「はい」と答えてしまいました。

まあ、いいか。
折角来たんだし。


でも、ここの本堂で「阿弥陀如来座像」に向かった時、ああ来てよかったなと思いました。
吸い込まれるような迫力がありました。
人が少なかったのもあって、とても静かで美しい佇まいでした。


このお寺は、神猿(まさる)がいたのだそうです。
比叡山には猿が多いらしく、寺の歴史資料室には猿の彫刻がいっぱい残っていました。
再来年の干支だなあ。
境内にも猿の彫刻とかあったかな? チェック忘れてました…。

本堂や建物を見て回っている間にも、「扉を閉めてください。猿が入ります」という注意札がありました。
私が訪れている間、猿は見かけなかったけど今もいっぱいいるんですね…。


近くの日吉大社にも猿は神の使いとしてまつられているようなので、再来年に行くといいのかも。




さて、もうお昼を過ぎました。ちょっと時間おしてます。
ごはんに行こうと思います。






つづく。