こんにちは ローズです
あなたは どんな女性に憧れますか?
どんな女性になりたいですか?
どんな女性が好きですか?
私は しばらく 自分探しの旅をしていて
好きな女性ってどんな人かな?
私が憧れる女性の生き方って どんな生き方だろう? と考えていて
やっと その答えにたどり着きました
私の憧れる女性の生き方
それは
なんと ビックリ
私の母の生き方です
以前
「楽しいから笑うのではなく 笑うから楽しい」を体現しているような人
と言ったことがありますが
母は 昭和3年生まれ 先日93歳になりました
最近 血圧がちょっと高めで心配なのですが
それ以外は 元気元気で ありがたいです
母が生まれて育った昭和初期の時代は
世間体がとても大事だった と言えると思います
戦争があって 戦争から帰ってきた人たちが沢山いて
貧しい暮らしをしている人も沢山いた時代
結婚は 親や親せき、近しい人が世話をしてくれて
お見合いで結婚するのが 一般的で
結婚をすると 離婚するなんてとんでもなくて
女性は 結婚したり子供が生まれたら仕事をやめて
家庭に入った時代・それが当たり前だった時代
女性が自分の個性を発揮して 自由に生きるなんて
とても出来ない・とんでもない時代
結婚適齢期 と言われる年齢も 22・23歳くらいだったのかな?
洗濯機 とか 炊飯器 とか 冷蔵庫 とか テレビ とかが
家にあるなんて 珍しい時代でした
今からは 想像出来ないですよね~
そんな時代に生まれ育った うちの母なのですが
数えきれないほどお見合いしたそうで
気に入らないからぜーんぶお断りして
28歳の時に 軽―く紹介された父と フォーリンラブ
3ヶ月で結婚したのでした
父は ちょっと家柄のある家の長男で
母は その家に嫁いで・・・
なのに 一年も経たないうちに
「このままじゃ私の人生はない!」
っと父を連れて家を出たのです
ちょっと考えると これってとんでもない話ですよね?
あの時代ですから! 世間体は???
このくだりを母に聞くと ちょっと自慢気に
「お母さん よーく勇気あったよね! すごいでしょ!」と笑います
お屋敷のような家から 土蔵の二階 たったひと間を借りての生活が始まったそうですが
何にもなくても とっても楽しくて幸せだったそうです
母は 当時は珍しかったフルタイムの職業婦人でした
子供が生まれた時は 会社から「やめるべきだ」と迫られ さんざん嫌味を言われ
でも「女性もちゃんと仕事をもって やりたいことを自由にやるのがいい」という
大正生まれの父の考えもあり 仕事を辞めずにずっと続けたのだそうです
子供が好きだったから家に居て 私たちを育てたい思いもあった
っと 後で聞いたことがありますが
母はお給料が良かったこともあって 生活のためにも辞めれなかったそうです
でも そのおかげで 私が小学校一年生の時に 家を新築
何不自由ない生活をさせてもらいました
そして母は 会社務めの後 いろんな習い事をしていました
裁縫を習いに行っては 夜遅くまで 姉と私に お揃いのワンピースを縫ってくれたり
お料理教室に行っては 家でそのお料理を披露してくれたり
着付け教室に行っては お正月に自分や私たちに着物を着せてくれたり
日曜日は 朝からお掃除してお洗濯して ほぼ毎週 義母を招くためにお料理して・・・
また とっても社交的で
出かけると知らない人とでも おしゃべりに花が咲いて なかなか帰ってこない
いつも元気で 楽しそうに笑っている母でした
そういう母を父は大好きで・・・
母が習い事に行く日は 父が夕食を作ってくれて
子供たちを車に乗せて 母を迎えに行く・・・
一日中仕事をしてるのに 好きな習い事をして 自由に楽しく生きていた母
まさしく スーパーウーマン ですよね
ついこの前まで 母のこの生き方に
私の心がフォーカスすることはなかったのですが
どんな女性に憧れるかを考えていて 母が思い浮かびました
こんなに近くに 素晴らしいお手本となる女性がいた! っとびっくりしています
私に「桜梅桃李でわが身咲ききれ」を教えてくれたのも母でした
今 改めて 母に感謝の気持ちがこみ上げてきます
そして父にも・・・
これからは しばらくはずれてしまっていた自分軸をしっかり持ちながら
憧れの女性”母”の行き方をお手本に
私らしい 花を咲かせていこう 生きて行こう と決意しています
そして何十年か後に
娘たちに 私の生き方を認めてもらえたら嬉しいな~・・・
最後まで読んでいただき ありがとうございました
では今日も Have a nice day
ローズ