今年も世界禁煙デーがやって来て、今は禁煙週間の真っ只中。
毎年この時期に美味しい葉巻を燻らすのはもちろんのこと、もうひとつ楽しみがある。
禁煙推奨パンフレットの類を眺めること。
面白いんですよ、なぜこれを簡単に信じてしまうのかという視点で読んでみると。
今年面白かったのは副流煙についてのページ。
副流煙(火のついた先端から立ち上る煙)には主流煙(肺の中に吸入される煙)よりも、ずっと多くの有害物質が含まれています。
そんな文章の脇に、ニコチン、タール、一酸化炭素、カドミウムの主流煙を1とした時の副流煙での値を示したグラフ。
大体2倍から5倍の数字が。
紙巻き煙草には大概フィルターがついてますから葉が燃えた煙そのものの副流煙の方が数値が高いのはまあ当然。
ところでこの数値は何を比較したんでしょうね。
主流煙1立方cmと副流煙1立方cmといった同体積による比較なのだろうと推測します。
主流煙は出て来た煙の大半を体内に取り入れます。
でも、副流煙は大半が空間に拡散して消えて行きます。
わざわざ煙草の燃え口を咥えて副流煙を吸い込む馬鹿はいませんよね。
出て来た副流煙が相当希薄化されたあとに喫煙者の周辺者が吸い込む副流煙の量というものを考慮せずに比較してみても、それを科学的と呼べるかどうか。
比較を乗せるならどういう比較をしたのか記すことが必要です。
ただ結果だけを示すのは科学的姿勢ではない。
真っ当な比較から逃げるという姿勢は煙草弾圧では基本姿勢と思われる節があります。
大概の禁煙パンフレットの冒頭には、煙草の煙には4000の化学物質、200の有害物質、60の発がん性物質があると記されます。
でも、例えばキャンプで薪を燃やした時の煙、焼き肉で出る煙、花火の煙、線香の煙、車の排気ガスなど、日常生活にあるほかの煙の含有物質と比べて多いのか少ないのかは記されません。
一方的な数字だけ突きつけて「ほら怖いでしょう」とするプロパガンダ。
もし煙草の煙の匂いが薔薇の花のようであったらまた違うんでしょうが、紙巻きの中には喫煙者でさえ避けたあような酷い匂いのものがありますから、体に悪そうな数字を見せられれば煙草を嗜まない人たちがそれに飛びつくのも已む無しではあります。
嫌煙側は当然それを見込んで比較対象を載せないんでしょうけどね。
ところでこの数字はこんな風にも書けます。
煙草の煙に含まれる4000種類の化学物質のうち、有害なのは5%、発がん性物質はわずか1.5%に過ぎず、95%は無害な物質なのです。
まあ嫌煙脳には絶対に思いつかない文章ですが。
今見ているのは某県薬剤師会発行のパンフレットですが、そこに「受動喫煙との関連が確実な病気」という項目があります。
そこには、慢性呼吸器症状(COPDなど)、心臓病、肺がん、気管支ぜんそく、中耳炎、低出生体重児、乳幼児突然死症候群が並んでいました。
「関連が確実」ということは受動喫煙が様々ある要因のひとつということであり、受動喫煙こそがその病を引き起こすということではありません。
煙草はあらゆる病の元凶のように言われますが、どうやらここに記されたもの以外は煙草との関連さえ不確実だと
医学の世界ではお認めのようですね。
そうそう、去年は気付かなかっただけかもしれないけど、今回の紙面に「環境煙」という言葉がありました。
安心安全を求めるために新たな不安材料を生み出してさらに怖がる面白い人たち。
煙草が全面禁止されこの世から消えたとしても残留煙とか記憶煙とか言っていつまでも怖がるのかな。
美学者・京都芸術大学教授 吉岡洋氏の言葉
数値的・客観的な意味におけるリスクを最小化し、より大きな「安心・安全」を追求する観念的な二元論のもと、私たちはそれまで当たり前のように行ってきたリスクを引き受けてさまざまに活動し、それらの間にバランスを取るという「生きること」「生きる意味」を失いつつあります。
やがてそれは私たちを「生きながら死んでいる」ような状態に、つまり「動く死体(ゾンビ)」化させ、人類文明そのものを衰退させることになる。
自分は人として生きていきます。