「推し文化論」を伝えるネット記事がありました。
そこに、
たとえば、私自身がどっぷりつかっている生身のアイドルの場合で言うと、原盤を購入しライブに足を運ぶことは基本であり、最近では音楽ランキングで上位にランクインさせるために何曜日の何時にPVを何回見る、といった具体的なルールを遂行できる忠誠心の発揮こそが、推し"優等生"の在り方になりつつある。
という一文が。
まあそんなものでしょうね、とは思うんですがやっぱり気になる部分があります。
「上位にランクインさせるために何曜日の何時にPVを何回見る」
というところ。
当世のランキングはCDの売上よりも再生回数の方が大事なようですから。
でもどうしても思い出してしまうんですよね、
「AKB総選挙」
を。
あの面白い試みも、最後は「金で順位を買うイベント」になり下がりましたよね。
箱買いされたCDが山と積まれた光景は忘れようがない。
前田敦子さんと大島優子さんが競り合ってた頃はなけなしの1票を秋元才加さんに投じていたけど、誰かの連覇からは完全に手を引いた。
メンバーたちの想いは純粋なものがあったんでしょうけど、順位の意味するものが何なのかを見失われてしまった。
この記事の「推し優等生」がやってるランクインさせるためのPV再生は、結局金で順位を買ってた総選挙と変わらないような気がするんですよね。
確かにランクインすれば推しのPRになるのは間違いない。
自分がここで◯◯は最高だと書くよりもよほど効果がある。
でも、それってランキング自体の価値を損じるのと引き換えなんだよね。
「売れる」というのは回数や枚数のことではなく、どれほど多くの人に届いているかってことじゃないのかな。
ただ、今はそれを測る指標を見失ってしまった。
だから再生回数◯億回とか言われても聞いたこともない歌があったりして。
毎日1回は見るファン100人がいるのと、毎日100回見るファンが1人しかいないのとは「ランキング」の視点で見た時に等価値となるんだろうか。
自分にはそこに疑問がある。
なので自分は「推し優等生」には到底なれない。
特典違いのCDが4種類とか出されても1番欲しいもの1枚しか買わないし。
家の収納スペースの限界ってのもあるしね。
ランキング、これからどうなって行くんだろう。
音楽の好みも細分化されて、もはや国民的ヒットなどというのは幻想に過ぎなくなった現在、そもそもランキング自体必要とされ続けるんだろうか。
知らない曲の出会う場としての価値はあるんだろうけどね。
自分にはランキングトップだとか世界で売れてるだとかの曲より、ライブハウスで出会った人たちの歌の方がよほど大切だったりする。
とはいえ、推し活なんてものは人それぞれの価値観で無理のない自分が納得出来る範囲でやればいいのであって、外野がとやかく言うことでもない。
一時期、推し活の夢から醒めて大量のグッズを破棄した人が話題となりました。
そんな結果になるような推し活だけはしたくないな。
我が身の推し活は「細く長く」。
それがお迎えが来るまで推しを楽しめるコツのような気がしています。