先々週久しぶりに認知症型グループホームにいる母の元へ。
一昨年、妄想の悪化以来そっとしておいた方が良かろう思ったり我が身の不具合で行くのを控えていたが、忘れられる前にと思って行ってみた。
一段と表情の険しくなった母がいた。
面会は居室で。
生活自体は安定している。
自身の年齢は分かっていた。
日に当たると肌の具合が悪くなるとして出歩かないので足腰が弱ってはいるが、一応身の回りのことは出来ている。
体操の時間には毎回参加している。
食事にはスプーンを使うようになった。
壁には習字が3枚貼ってあった。
字はまともである。
自分にことは分かるか聞いてみた。
名前も覚えていた。
でも、死んだと思っていたという。
たった一人いる孫についても死んだと思っていた。
妹も届け物には来ても顔を見せずに帰ることがほとんどらしい。
高校1年になった孫は小遣いをもらえるわけでもないので当然のごとく来ない。
まあそんなものだろう。
自分も馬子もまだ死んでないし足もあることを話すと少し笑う。
4月になったら新しいところに移るんだと話し出す母。
そんな話をスタッフがしているのを聞いたんだという。
もちろんそんな話は出ていない。
隣の部屋に知人が入所したけど会えない話は続いている。
会えないのは転んで怪我をしているためと思っているらしい。
あいからわず父がどうしているかといった話は出ない。
多分とうの昔に死んだことになっているのだろう。
まだ面会時間に制限があり、20分程度の会話となった。
見送りに出る時、ちょっと苦労はしていたが掴まりもぜず立ち上がることが出来ていた。
帰り際に職員がふたりの写真を撮ってくれた。
その時の母は嬉しそうな顔だったという。
あのままゆるゆると長生きして行くのだろう。
また死んだと思われないうちに顔を出すようにしよう。
この週末は父の施設へ。
そこは面会は基本的に日曜だけで、しかも予約制なのだ。
面会はこのために設えた部屋で。
長机ふたつ挟んで、その間には厚手の透明なビニールで仕切りが。
時が1年以上戻ったようだ。
父は車椅子を押してもらって登場。
マスクした顔は昨年会った時よりも入所した頃の顔に近かった。
表情に乏しくなったのは致し方あるまい。
以前より声のかすれが強くなった父。
頑張って話そうとするが、マスクをしている上に厚いビニールに邪魔されてその声は我が耳に明瞭には届かない。
前回の窓越しの面会時には職員が隣りにいて会話を取り持ったか今回は二人だけなので層もいかない。
なので、ビニールの継ぎ目を広げて直接声が届くようにした。
もちろん最後は元通りに。
食事も大体食べられるし、大きな問題はないと言っていたように思う。
質問から答えまでの時間は以前より長くなったが、噛み合わないということはなかった。
面会時間は10分に制限され、計測のための時計が置かれた。
父が部屋を去った後、お話出来てよかったと語る職員に言ってみた。
あのようにかすれた声がマスクの上にこのビニールでとても聞き取れないのだが、いつまでこれを続けるのか、と。
すると、まだ何かあるといけませんから、と。
コロナウィルスが絶滅もせず、インフルエンザも蘇ったなかで、何がどうなったら「何かあるかも」が払拭されるんだろう。
仕事柄、あちこちの施設に顔を出しているが、部屋にこそ入れないがここまで制限されることろはない。
まあ、窓越しの面会すら県外者という理由だけで拒否していたことを考えればそれでも随分変わったというべきではあろうが。
毎日接している職員は慣れがあるのでかすれた直接の声も聞き取れるんだろうが、年に何度と合わない身にはそうはいかない。
頑張って話したのに息子にきちんと届かなかったとあっては父も辛いものがあったのではなかろうか。
入所者を守っているように見えて、施設の保身でしかないのはこの4年を見ていてよく分かる。
とはいえ、父の身柄と終の棲家を質に取られている身には強く抗議も出来ぬ。
親不孝の種というのはいろんなところに潜んでいるものだな。