次の3年の目標 |  ろぜのポジ♪ブロ ~RAINBOW~

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基本ポジティヴ。
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こころのもちかた。

今日はマイナーなところで合唱日記。


コンクールの課題曲の楽譜をみたとき

初めて調性記譜から読んで書き込んだ。

…という自分に驚いた。

まずは歌詞、の自分のはずだったが

どういうことだ。

まあ課題曲は「選曲」ではないからかもしれない。

どんな歌詞だろうと歌うことになるから。


そして最後にやっと歌詞をみて

「虹」「夕焼け」にくりっと丸をつけ、

ラッキー。今年は見なくてもついてるじゃん。

などとまた幸運を喜ぶ。

これでしばらくこの楽譜開かないだろう。

本当にいいかげんな指揮者だと思う。


熱心なところはすでに練習が始まっているが

うちは基本的に3月4月はお休みなので

2ヶ月分いつも強豪(?)校から遅れている。

「春休みが勝負、そこで声をつくれ」

他校のコンクールマスターから

教えられたが、やっぱりできなかった。

たぶん自分がコンクールに熱くないからだと思う。

いや、熱くなっても結果が出せない自分だからと思うと

無駄に熱くなって傷つくのを避けている弱虫おやしらずだからだと思う。


でもコンクールはおいといて

本気で「合唱」するなら

「量より質」とかいってないで

時間があるならば量も必要だと急に昨日思った。

ほとんどはもらなくても演奏会をして

楽しくおわっていったこの3年間は

「歌」は、かなりかなり楽しかったし

コンクールですらまよわずに

やりたいことをやりきった感はあったけれど

技術的に言えば和声を楽しんだかという点での

合唱を楽しんだかと言えるのだろうかと思ったのだ。

(そういえば他校から「合唱」ではないとよく言われ)

コンクールのアカペラ部分ですら

「全体的にはそこそこ音程がよい」というところまでで

はもりまでいかなかったと思うと

まだ追求できるはず、まだできるはず、と。

それは時間をかけて妥協なしにやったら

今の自分でももうちょっとはできる、と思ったのだ。

つまり、時間が少ないということだけで

指導者も歌い手も両方が

ポテンシャルを生かせていない状態ではないかと

思ったのだ。


たぶん年間やっている合唱部では

県下一番練習時間が少ないと思われる。

増やすなら

自分のポテンシャルと仕事時間からいって

2倍やっても努力が無駄になるか

仕事が圧迫されるかだから

練習量1.5倍が妥当か。


ただいつも思うのはどちらが教育的か、なのだ。

「苦しいことをのりこえたからこそ

すばらしいステージにたどりついた」ということを、

続けられた子どもだけに強烈に実感させ人生の

糧とさせるか、

実態に合わせてどんな子どもでも最後まで

続けられ、演奏会にのれるようなメニューと

練習で持っていき、より多様な子どもに成功体験を

してもらうか。

ことしは後者が成功して、就職してから初めて

「退部者0」で一年が終わった。


…いや、

前者でひとりの脱落者も出さない

という選択があるか。

できるのかな?

後者で前者の気持ちを持たせたら

詐欺だしなあ。


答えがでないけど

どちらにしろ今年は(この先は)

はもることにもっとアンテナを

たててみたいと思った。

それが合唱にいちばん

大切だと思っているわけではないが

そろそろ苦手なところにいかないと

前進がない。今年もそこから逃げるなら

なまえを「音楽部」に変更だ。


明日の自分のレッスンでは

あたらしい声楽の教科書に

突入する。その前書き

「額にしわをよせ悲壮感を漂わせると

その雰囲気を上手に表現していると

誤解し満足しているような傾向にあり…」

には、2月に演奏会近くなっても

練習時間がたりなくて

表現が追いつかなくなったときに

まちがっていると知りつつ

顔でも手でも何でも使うという

あらわざをやめる勇気がわいた。

あっ、もちろん曲によるけど。



まあ何より「妥協好き」のこの性格を

変えることが先だな。