その名もボンクラーズ |  ろぜのポジ♪ブロ ~RAINBOW~

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2週間くらい前だったかなあ。

新聞にのっていた

コンピュータが将棋で

名人に勝った話を

子どもたちと一緒に読んだ。


今日ニュースで

その話をもう少し

詳しく特集しているのを

偶然見ることができた。


コンピュータは

「焦る」とか「美学を追究する」とか

「思いやる」とかまではプログラムされて

いないから

ただ「勝つ」ということだけには

「感情」って必要ないのだと

思った。


勝ってからも「感情」がないから

ではいったいコンピュータは

何のために

勝ったのだろう?


でもこのコンピュータをつくったのは

人間だから

その人間はこの「勝ち」を喜んでいる

に違いない。つまり結局この勝ちも

コンピュータの勝ちではなくて

人間の勝ちなのだ。


ということはおいておいて



江戸時代からの名対戦がプログラムされ

最善の道を計算できるようにしてある

らしい。


負けた名人の言葉で

「昭和の大名人 大山康晴と

対戦しているような感じだった」

にものすごくじんときたのは

このコンピュータの意味を

そこに急に感じたからである。


もうあうことのない

人と勝負ができるかもしれない。

名人となりとぎすまされた技を

持つ人だけが味わえる世界である。


今日ほど「わたしどうして将棋やらなかったんだろ~」

と思ったことはなかったわ…。



チェスはすでにコンピュータに人間が負けているらしい。

将棋の方が手が多いのでこれまで

難しいとされてきた。

この先はさらに手の多い囲碁にまで

コンピュータ勝ちの世界が

やってくるのだろうか。


どこまで知的機械は

やってきて

どこまでその意義が世界に

理解され利用されるのだろう。

先ほど自分がかいたようなセンチメンタルな

意義ではなくきっと求めているのは

人の生活をさらにゆたかにする

意義なのだろう。わたしには想像できない。


ただやたらにどきどきする。

これもまたひとつの「進化」だからか。


負けた人間がさらにここで「進化」をめざし

コンピュータを操る人と

将棋の名人とが

別々に進化していくのか。


とにかくどきどきなのだ!