私は、人の気持ちに敏感だ。敏感だからこそというべきか、人の気持ちの動きに寄り添うのも好きだ。

 

ただ、自分が生きていくうえで、これまで、どうして、ばかりを考えすぎて、どうしたらいいのか、を考えてこずに、苦しんで生きてきたと思うようになった。

 

統合失調症になって不安に押しつぶされそうになって、苦しんで生きてきた過去がある。気持ちが先にきて、目の前の問題に、どう対応すべきかの考え方がなかったのだ。

 

今回の父の認知症もそうだ。父にがっ~と文句を言われる。言われたら、自分の心がしんどい、どうしてこんなに苦しいの???とずっと考えてきた。がっ~と言われる不安ばかりを抱え、どうしたらいいのかを考える癖がついていなかったのだ。

 

父が認知症になった。どうしたら、うまく対応できるだろう、と考えていけば、ストレスはかなり軽減される。

 

どうしたらいいか。父に対し、気持ちを受容する態度を示す、父のやりたいようにさせる、父が困ったときはその時々で一緒に考える、がっ~と言われたら、認知症なのだから仕方がないと受け流す、自分一人で解決できない問題は、旦那・妹・ケアマネ・主治医などいろんな人の力を借りて乗り越える、などだ。

 

また、親しい友達が闘病している。もし、亡くなったら、私は自分が崩壊し、人生の一部を喪失するほどの大ショックを受けるだろう。

 

その時、どうしたら、私は、その状況を受容して、前に進めるだろうか?

 

友達とは毎日Lineし、手紙も一週間に一度必ず書き、お守りもいろんなところへ買いに行き、自分が後悔しないようにと思って、自分ができる限りのことはしたつもりだ。

 

もし、亡くなったら、自分が前に進むためには、泣いてばかりでボっーと過ごしてはダメだ。友達からもらった手紙を読み返す、自分の気持ちが落ち着くまで、思い出をブログに綴る、音楽を聴いたりして友達とのことを整理する、毎日の家事・洗濯・料理はする、日々の生活スタイルは守る、ちょっと悲しみが癒えたら、自分の新しいことに挑戦する、などだ。

 

どうしたらいいのか、を考えることで、漠然とした不安が消え、自分がやるべきことの方へ考え方がシフトしていく。

 

父の認知症にどう対応するかという課題を前に、自分が見つけた答えの一つだ。

 

自分の考え方を変えるときなのだと思う。