4月2日。私の57回目の誕生日。元気に迎えられて本当に良かった。

 

朝、起きたら、親しい友達二人がラインでおめでとうメールをくれていた。また、お母様の介護で忙しいのに、おめでとうカードを毎年くれる親友が今年もお誕生日カードをくれたり。妹も「57歳の一年が良き年になりますように」とおめでとうメールをくれた。母は、少し早く、おめでとうのプレゼントをくれた。

 

こんなにみんなに祝ってもらって・・・。

 

感謝しかない。有難い。感謝ピンクハート仕事が終わって、主人も先ほどケーキを買ってきてくれ、誕生日を祝ってくれた。感謝ピンクハート

 

夜中、不思議な気持ちを味わった。昨晩、主人とおうち呑み会し、腹いっぱい食べ過ぎたせいか、夜中に、おなかが張って、気分悪くて、冷や汗が出て、寝付くまで悶絶したのだ。

 

体調不良で、寝付けず、枕もとの時計を何度も見た。

 

深夜0時43分の時計を見て、私は、4月2日のこの時間にこの世に生まれてきたんだよな(母から以前、この時間に生まれたと聞いていたので)と、冷や汗でクラクラになりながら、時計の時刻を見ながら、確認した。そして、この世に生まれてきたことや、ちょうど今、57回目の誕生日を迎えたのだと、荘厳な気持ちになったラブラブ

 

仲の良かった35年来の親友は、一昨年のお盆に、病気で、55歳で逝ってしまった。

 

「年齢は財産です」。彼女の言葉が身に染みる。

 

57歳。私だって、いつか、この星にさよならをする。

 

森進一の「襟裳岬」の歌詞

~~~理由(わけ)のわからないことで悩んでいるうち

老いぼれてしまうから~~~

 

本当にそうだと思う。

 

気の合わない人に、何を言われてもよいではないか。そんなに批判されることや悪口を言われることが怖い?仲良くもないのに?そんなに気になる?どうでもいいではないか。ほおっておこう。

 

それより今日、祝ってくれた本当に大事な人たちを大事に生きていきたい。人生は悩んでいるほど長くないピンクハート

 

 

 

 

 

 

 

 

母のマンションを空にし、今日、立ち合いの方に内観してもらい、鍵を渡して、無事、マンション解約。終了。

 

母は、昨年12月にもう老人ホームに入ったし、明日から、自由になる時間が増える。嬉しいなラブラブ

 

もうこの四月はゆっくりしよう。本当にゆっくりしよう。

 

ここ数年、ばたばたで忙しかった。あ~疲れたちょうちょ

 

一昨年のクリスマスイブに父が亡くなり、去年の四月に、父と母が長年住んでいたマンションを解約し、探し出した新しい母のためのマンションと契約を交わし、そこへの引っ越し、その後、母の老人ホームへの入居、今回の母のマンションの解約と、この一年で、これら全部こなし、忙しかったが、でも、たくさんの人の好意に支えられながら、無事、すべて乗り越えられた一年だった。

 

いろんな方にすごく助けてもらった一年。本当に感謝しかない。自分の人生に感謝する。

 

でも、一番助けてくれたのは、主人と妹。本当にありがとうと言いたいハート

 

今日、マンションの内観が終わり、鍵を返した後、からやま(から揚げのお店)に寄って、主人と早い晩御飯を食べてきた。

 

お店のトイレに入っていると、なんと突然停電した。げっ!!!トイレの中は真っ暗に。えっ~~~と思ったが、真っ暗な中、鍵を開けてトイレから出てきた。

 

私自身、パニックにもならず、一人でトイレから外に出られて、多分、亡き父や亡き友達やご先祖さまが見守ってくれたのだろう(そんな大げさなことでもないって???)。お前、できるやないか、と思ってくれたかな?(こちらも、そんな大げさなことでもないって???)

 

明日から、ゆっくりハート

 

とにかく、もうゆっくりして、寝てたいハート

 

怠惰か?

 

まだまだ、父の遺した遺品の整理などあるのだが、ひとまずのんびりピンクハート

 

明日はゆっくり寝坊しようハート

 

無事、すべてが済んで、良かった。感謝ハート

 

 

 

 

 

 

 

 

1999年の3月28日に結婚式を挙げた。

 

今日、3月28日。結婚記念日。結婚して27年目に突入した。

 

職場が同じで、職種も同じ。仕事の後も、よく二人で、呑みに行った。私の親に内緒で二人で泊りの旅行にもかなり行ったなラブラブ

 

元気なころに5年付き合い、私が統合失調症になってから1年半が過ぎ、結婚した。

 

付き合った期間が元気なころも含め、全部合わせて6年半あるので、お互いのことは、随分わかっていたつもりだったが、結婚して初めてのお正月を前に、スーパーで、「お餅を買うか、買わないか」で喧嘩になったびっくりマーク

 

13個入りの生餅を買うという主人。私は、お正月に一つしかお餅を食べないので、「そんなに買って食べるの?本当に食べるの?」で喧嘩になったのだ。

 

結局、13個入りの生餅を買い、主人は、お正月の三賀日で、すべてのお餅を食べてしまった飛び出すハート凄い飛び出すハートほんまに食べるんやびっくりマーク

 

そっかー。世の中、こんなにお餅を食べる人もいるんだ!!!とびっくりした。育ってきた環境で、お餅一つでもこんなに違う。

 

結婚してから、私の病気ゆえの精神科入院が2度あり、主人は大変だったと思う。また、10年前には今度は主人が膝の病気になり、結婚生活で倦怠期などと言ってられぬほど、お互い、ドキドキハラハラでここまで来た。

 

かれこれ20年以上入院もなく、元気になった私だが、それでも、主人は今も、私の大応援団長でいてくれる。そして、私は、主人の大応援団長だ。お互い、助け合いの精神ねハート

 

今日は、最後の入院の時(24年前)に主人が買ってくれたフォリフォリの腕時計をエコリングに買い取りしてもらった。時計の内部に赤さびが来ていて、動かないので、主人が「もう捨てたら?」と言っていたのだが、私は捨てられずにずっと持っていた。入院中のしんどい時期に、仕事終わりに、おやつを持って、毎日お見舞いに来てくれた主人。そんな大事な思い出までも捨てるようで、腕時計を捨てることだけは絶対に嫌だった。

 

赤さびゆえに、値段がつかないだろうと思っていたら、エコリングが買い取ってくれた。高額ではないが、値段が付いた。嬉しかった。

 

フォリフォリの時計をもらった頃は、幻聴を幻聴と割り切れず、主人に心配ばかりかけたな。本当にありがとう。

 

私の思い出のあるこの腕時計が、誰かに渡って、誰かに愛されてほしい。

 

いい結婚記念日になったハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、主人とセンバツに行ってきた。大会第6日目。

 

朝3時半に起きてしまった。

 

パチッとリビングの電気をつけたら、主人に「何時?」と聞かれ「3時半」と答えると、主人は、「はやっ!!!もう少し寝る」と言って、また、寝てしまった。

 

でも、主人も、結局、4時半には起きて、準備。

 

朝6時に家を出た。

 

高速を走ると、比較的近い。一時間もせずに甲子園に着いたハート

 

亡き親友が、大好きだった甲子園。いつも3月22日とか23日に四人で会っていたよな。彼女は旦那様と福岡から来ていて・・・。私と彼女と私の主人と彼女の旦那様の四人で毎年観戦した高校野球。

 

彼女が亡くなってから、一年八か月が経った。

 

今年二月にお墓参りに福岡に行き、お墓の前で手を合わせた。帰りの船のなかで、やっと彼女の死去を自分なりに受け止めることができるようになったと思う。「もうしょーがないやん」と。

 

私がどんなに泣いても天国に行った彼女はもう戻らない。「もうしょーがないやん」。自暴自棄でもなく、私なりに現実を受け止めた言葉。しょーがないから、前を向いて生きて行こうと思った。

 

昨日の甲子園。第二試合が面白かった。友達が「面白い試合ですね」と私の横で笑ってくれている気がした。

 

数列前の席には、ベネズエラと書かれたユニフォームを着た外国の男の子とオリックスのユニフォームを着ている外国の男の子とたぶん二人のお父様であろう白人の男性。三人並んで、熱心に高校野球を観ていた。

 

大谷翔平効果で、センバツにも来てくれたのか???照れ照れ照れ照れ

 

甲子園カレーを食べていたら、「いつきさん、美味しそうですね。私ももう一杯たべましたよ」と彼女の声が聞こえた気がした。ハート

 

ずっといつきさんのそばにいるからね。彼女に見守られながら、私はこれからも生きていく。

今日、一か月半に一度の精神科外来だった。

 

「この一か月半はいかがでしたか?」と精神科医に訊かれ、「3月31日付で、母のマンション解約がきまり、物の廃棄や引っ越し、不必要な書類のシュレッダーかけなどで、バタバタしています。妹と二人、大わらわなのに、母からは、お疲れ様とメールが来るだけです。あんたは女王様かと思います。でも、イラっとしても、すぐに切り替えて、自分の世界に入れるような、切り替えの仕方を考えてます」と答えた。

 

精神科医は「100均で売っているようなふにゃふにゃのボールをぎゅっと握りしめるとかはどうですか?あれならゴミもでないし・・・」と笑って教えてくれた。「比較的、上手に毎日を乗り越えられてますね。3月31日のマンション解約が終わったら、本当にゆっくりしてください」と言われた。そして、「精神的な切り替えの方法は、この後の心理カウンセラーさんにも訊いてみてくださいね」と言われた。

 

先生。いつも通り、穏やか~~~。いつも通り、まっすぐに私のほうを見て話してくださる。安心照れ

 

また、一か月半後。

 

精神科医との後、心理カウンセラーさんと話した。

 

「母から被った態度や言葉にいらっとした後、いかに早く気持ちを切り替えて、自分の人生を過ごすかが課題です」と伝えたら、

 

「特にお母さまとの関係においては、怒りやイライラをすぐに切り替える方法はないです。これまで、お母さまとの関わりの時間が長かった分、お母さまに対するわだかまりも大きいでしょうから、イラっとした時にそんなに簡単に気持ちが変わるとは思えません。もうイライラが嫌だというのなら、お母さまとかかわらないという方法が一番いいです。でも、いつきさんは、お母さまと関わり続けたいという気持ちはおありなんですよね」と訊かれた。

 

「はい。あります。母は、私が統合失調症になってから、15年近く、主人の仕事休みの日以外は、毎日、私の家に来てくれました。それに、たくさんいるお友達がいなくなったら、いつきが可哀そうと言って、28歳の時に精神科に入院した時に、私の友達たちにいつきに手紙を書いてやってくださいと手紙を書いて、レターセットも送ってくれていました。そのお陰で、友達たちはなんとなく、いつきちゃんが精神的な病気になった飛び出すハートと知って、私が自らカミングアウトしなくても、高校や大学の友達が、ふんわりと、学生時代のときと同じように私を受け入れてくれたんです。今、大学時代の友達とも、高校時代の友達とも、今もずっと続いているのは、母のおかげです」と答えた。なぜか涙が零れたハート

 

心理カウンセラーさんは「いつきさんは、いつきさんの具合の悪い時に、お母さまがしてくれたことに感謝されていて、その感謝があるから、いつきさん自身がお母さんと関わっていくと自分で決めたと納得することが大事です。お母さまは変わらないでしょうから、これからもいらっとされることは沢山あると思いますが、その時に、いろいろ病気の時に母はしてくれたなと感謝の気持ちを思い出せれば、イラっとする時間も短くなると思います。お母さまと関わるという覚悟をご自身が持つことが大事ですね。でないと、お母さまの態度や言葉に振り回されます。振り回されることほどストレスになることはないですから」と話してくれた。

 

母のことをムカつくと言っているが、私の病気の具合の悪い時は、母は、毎日毎日、私のマンションに来てくれていた。大雨の時も夏の暑い時も冬の寒い日も、そして、多分、母自身の体調が悪い時も。

 

そうだよな。母との関係で、イラっとすることも、喜びを感じることも、私の人生の一部なんだよな。

 

また、宇多田ヒカルちゃんの歌詞を思い出す。

 

「毎日の 人知れぬ苦労や淋しみもなく ただ

楽しいことばかりだったら

愛なんて 知らずに済んだのにな」

 

病気のしんどい時、私は母からたくさんの愛をもらっていたんだよなハート