私には、とても仲の良い友達が数人いる。前回紹介した親友に加え、もう一人、私が自殺しそうで怖いという強迫観念で悩んでいた時期に私を救ってくれたのが、福岡にいる友達だ。

 

ツインレイかと思うほど、考え方も生きてきた苦しさも似ている彼女とは、職場で知り合ったのに、とても気が合った。

 

だからなのか、私が病気になり、会社を休んでからも、彼女は、頻繁に手紙やお守りをくれた。

 

2003年に、新婚旅行で旦那様と関西に来た彼女が夕方四時半に電話をくれた。「西宮にいます。お会いしたいです」と。

 

1997年からの五年間で三回も立て続けに、精神科病棟に入退院を繰り返し、その時、私は、自殺しそうで怖いという強迫観念の真っただ中にいた。

 

それでも、久しぶりの彼女からの電話に、「会いたい」と訴える私に、旦那は、「夜に外出して体調、崩さない?」と心配しながらも、彼女に会うため、西宮へ、車を走らせてくれた。

 

久しぶりに、友達夫妻と私と旦那の四人で呑み、本当に久しぶりに私は、笑い、楽しいという感覚を思い出した。

 

彼女は、「いつきさん、これから、毎年お盆に会いましょうね」と言ってくれた。

 

翌年から、本当に、四人でお盆に会うことになった。

 

怖い、怖いと思う毎日の中で、彼女に会う、一年に一度の再会が、怖いと思う私に、生きる勇気をくれた。

 

364日、どんなに怖いと思っても、彼女に会う一日を思って踏ん張ることができた。彼女に会う一日を思うと頑張れた。泣きそうに怖い日も、震える日も、彼女とたくさんのメールを交わしながら乗り越えた。

 

再会した日は、彼女と会うなり、二人で号泣した。別れるときは、固くハグして、翌年の再会を誓った。

 

そんな年月が過ぎ、私の強迫観念も薄らいでいった。

 

今年、一年に一回、夏にあうその恒例行事が、二十年周年を迎える。

 

2003年に会ってから、二十年続いたのだ。

 

彼女は、今、癌の闘病の真っ只中にいる。

 

今、毎日、朝にラインで一時間、メールし、一週間に一度は必ず手紙を書く。

 

癌封じの神社があれば、お参りして、お守りを送る。

 

今度は私が支える番だ。私にできることはすべてする。

 

彼女に生きて欲しい。一緒にこれからも人生を歩いて欲しい。本当にそれだけを祈り、願っている。彼女のいない私の人生は寂しい。彼女を思うと、涙が零れる。

 

会いたい。彼女とハグしたい。今年の夏の甲子園での再会を本当に心から願っている。