28歳で統合失調症になり、自殺しそうでこわい、と長い間、内的な強迫観念に悩まされた私。

 

「怖い、ドキドキ」と母や旦那、親友に常に言っていた。大学時代の親友とのメールは頻繁だった。

 

例えば、コーラスの発表会。舞台へあがるとどこかへ走り出してしまいそうな衝動が湧きおこり、「怖い、ドキドキ」と親友にメールすると、「宇宙からみたら、私たち、ちっぽけな存在。多少のことは大丈夫」と返信してくれた。

 

また、いつもは、六時過ぎには「会社出た」のメールが入る旦那からのメールが六時四十分になっても入らない。窓から飛び降りそうで怖くて、ドキドキしながら、「旦那からメールが入らないの。ドキドキする」とメールをすると、「なんでも慣れだよ、慣れ。そのうち、その時間に慣れていくよ」と返信してくれたり。

 

毎週のコーラスの練習で「ドキドキする。このメールがお守りです」と打つと、「お守りということは、いつきちゃんは、もう病気から卒業だね」とくれたり。

 

そんなこんなで、28歳から40歳ぐらいまで、12年近く、彼女は、私の「怖い、ドキドキ」に付き合ってくれた。

 

2011年7月8日。金曜日の昼の二時に彼女からメールが来た。

びっくりマークびっくりマークびっくりマーク「いつきちゃんが怖い、怖いと言い続けると、周りの人がどうしていいか分からず、困ってしまうだろうと、相手の立場で現状を見てみたら、セーブがきいてくるのじゃないかな?」びっくりマークびっくりマークびっくりマーク

 

感情的ではないが、でも、静かに私を戒める内容だった。

 

旦那や母から言われたら、甘えてしまって、だって怖いもん!!!で済ませたかもしれない。

 

でも、大学時代からずっと付き合いのある、それも病気になっても12年間、ずっと「怖い、ドキドキ」に付き合ってくれた親友の言葉。

 

その重さに圧倒された。あ~言われた!!!とうとう親友に言われた。まずい。本当にまずい。自分が行動を変えなければ、彼女との付き合いは終わる。私は、本気で考えた。

 

どう言葉と行動を変えればいいのか???どうしたらいいのか???

 

そして、決めた。翌日から、「怖い、ドキドキ」を封印する。絶対に言わない・メールに書かない。親友には勿論、旦那にも母にも言わない・書かない。

 

さらに、行動を変えた。それまで、朝起きてから、ずっとテレビの前に座って、怖くなれば「怖い、ドキドキ」とメールしていたが、翌日から、とにかく、掃除・洗濯・家事とバタバタ動き回るようになつた。怖くなれば、とにかくドタバタなにかする。

 

行動を変えても、怖さには変わりはない。心臓が口から飛び出しそうなほど、緊張し、怖かった。

 

しかし、「怖い、ドキドキ」は絶対に言わない・使わない。それだけは守った。

 

緊張してトイレに駆け込むと、以前なら、「怖い、ドキドキ」と書いていたのを、「下痢をしました。十五分、トイレにこもりました」と書き換えた。

 

そう書くと、親友は、「下痢、ダイジョブ?私もお腹痛い時、よくあるよ~」と返信がきた。

 

「怖い・ドキドキ」を封印して半年が経ったぐらいから、怖くても、自分の怖さを握りしめることができるようになった。自分で怖さを飲み込むことができるようになったのである。

 

そして、怖い時は、掃除・洗濯・家事でどたばた走り回るというルーチンワークもできた。それで時間が経っていく。

 

バタバタしているうちに、母が来てくれる。母が帰って、主人が帰宅する。

 

そうこうしているうちに、内的な自殺しそうで怖いという思いが少しずつ静まっていき、親友の静かな戒めメールから一年後の2012年の夏の夕方、私は暮れていく青い空を一人見ながら、静かな気持ちで、「自分は本当に幸せだな」と病気になって、初めて思うことができた。

 

無我夢中で、沢を下り、山を登り、厳しかった自分の人生が、やっと稜線を歩いている穏やかな感覚になった。怖いという強迫的な思いが、ゆっくり消えていった。

 

そうした人生にしてくれたのは、親友の静かな戒めの言葉だった。

 

彼女の言葉が、私の言葉と行動を変えた。

 

それは、大学からずっと親友の、しかも私の「怖い、ドキドキ」に十二年も付き合ってくれた彼女の言葉だったからこそ、私の言葉と行動を変える力になったと思う。

 

今も、彼女とは、親友だ。昨日も、介護の大変さについて、電話で二時間、語り合って、「介護ってまさに自己成長やんな」と笑いあった。

 

本当に彼女には、感謝しかないのである。