恋愛がつづく方法  ジェリー・ミンチントン著 弓場隆訳

 

お付き合いする彼氏もいない独身の私が、こういう本の内容を書くのも何なのですが...。

 

逆に「特定の男性がいない」からなのか、よく「かまってちゃんな人間」に絡まれたりして困ったものだ。えー?  

 

ということで、本の中から何個か音譜  

 

 

 

5 現実をよく見ること

あなたは 恋愛に対して 何を期待していますか?

 

私たちは 恋愛をする年頃に なるずっと前から、恋愛の イメージ を つくり始めています。

しかし 残念ながら、その イメージの大部分は 映画や ドラマ、流行歌、恋愛小説などに もとづいているのが実情です。  たしかに それらの情報源は 娯楽性があり エキサイティングなのですが、現実味に欠けることが少なくありません。

 

悲しいことに、私たちが そのことに気づくのは、恋愛してから であることが 多いのです。 

実際に 恋愛をしていると、想像すら していなかった状況に 遭遇し、考えた ことも ないような行動を とることに なります。  それまでに つくり上げていた 恋愛のイメージは 空想にすぎない ことが わかり、過酷な現実に とって 代わられます。

 

なぜ こんなことに なってしまう の でしょうか?

 

・おたがいの恋愛のイメージが 大きく食い違っている

・恋愛のイメージを つくり上げるときに 現実を考慮していない

 

では、どうすれば 現実的な恋愛の イメージを つくり上げることが できるでしょうか?

答えは簡単。  現実をよく見て 学べば いいのです。  恋愛関係にある さまざまなカップルを 観察し、その人たちが 何について 語らい、どういう行動を しているか に 注目して 参考にしましょう。

 

8 まず相手と親しくなること

人々は、おたがいを よく知る前に 恋愛を始めること が よくあります。  外見的な魅力や 情欲、強い感情のために 相手に惚れ込み、一気に 親密な関係になる のです。  二人の暗黙の合意は、「愛さえあれば、どんな問題でも たちまち解決できる」という 非現実的な考え方に もとづいて います。

 

しかし ながら、急いで 恋愛を すると、あとになって 不幸と ストレス という代償を 支払うことに なります。  ちょうど、自動車展示場に行って  一番かっこいいクルマを見つけると、大きさや 燃費、収納スペース、性能などを 考慮せずに即 購入するような もの です。  

結局、その代償が あまりにも高くつくことを あとで 痛感することに なります。

 

急いで 始めた恋愛が うまくいき、その後、ずっと幸せに暮らす ということも 決して ないわけでは ありません。  しかし、その確率は どれくらい でしょうか?  いったん 二人が おたがい の 違い の 多さに 気づいたら、その次に 迎える局面は たいてい 別離 か 離婚です。

 

9 親友になれる相手を選ぶこと

恋人を探すときは、いい恋人であるだけでなく 親友になれる人を選びましょう。  

「恋人になれば 親友になれる」と思いがちですが、そうとは かぎりません。

 

一般的に 私たちは、恋人として ふさわしいか どうか という 観点だけで 相手を 判断します。

しかし、相手と 親友に なれるか どうか の ほうが、はるかに 重要なのです。

 

親友にも なれる 条件とは 何でしょうか?  基本的に それは、同性間の友情と 同じです。

 

・あるがままの あなたを 受け入れてくれる

・あなたと いっしょに 楽しく過ごすことが できる

・あなたが 悩んでいるときに 心の支えに なって くれる

・あなたの最大の利益を 考慮してくれる

・あなたに敬意を 持って 接してくれる

・あなたに対して 誠実である

 

新しい恋が始まると、その素晴らしい感情が 永遠に つづく と 思いがちです。

しかし、現実には なかなか そうは いきません。  ほとんどの場合、純粋な恋愛期間は せいぜい 一年くらいしか つづかない からです。

 

では、そのあと どうなる の でしょうか?  一部の カップルは いずれ破局を迎え、別離や 離婚に いたります。  それに対し、親友に なれる人を 選んだカップルは、ますます きずなを深めて 愛を はぐくむことが できる のです。

 

10 相手の行動を変えようとしないこと

相手の行動を変えるつもりで 交際を始めては いけません。  しかし、一部の人は「恋愛を始めれば 相手の行動を変える権利を得た」と 勘違いするようです。

 

知りあって しばらくすると、相手の いやな部分に 気がつきます。  偏った食習慣、乱暴な言葉づかい、だらしない服装、などです。  しかし、親密な関係になるまで 我慢して黙っています。

そして、いよいよ その時期が来た と思うと、相手の行動を変える計画に 着手します。

 

しかし、相手の行動を変える 適切な時期というのは 実際には ありません。  相手の行動について 気に入らないことがあるなら、選択肢は四つあります。

 

・そういう行動を しない人を 探す

・その行動を 我慢し続ける

・相手の行動を 気にしないように 自分を変える

・相手が行動を改める のと 引き換えに 自分も行動を改める

 

相手が どんな行動を するかに関係なく、私たちは自分が選んだ相手を 無条件に愛するべきです。

いくら相手の行動を変えようとしても、相手は 私たちの思いどおりには なかなか行動してくれません。

 

11 気持ちを言葉ではっきり伝えること

人生が うまくいかずに 不満を感じることは 誰にでも あります。  

そんなときは 自分の気持ちを 相手に理解してもらい、優しく なぐさめてほしい と 思うものです。

しかし、残念ながら、多くの人は 何も言わなくても 理解してもらえる と 思い込んでいます。

 

私たちは、よく、「誰も理解してくれない」と 不満を漏らしますが、それは、本当は、自分の要望を はっきり伝えていない からです。  相手にしてみれば、それでは 理解のしようが ない のです。

 

心を開いて 相手と コミニュケーションを とりましょう。  相手が あなたを本当に愛している の なら、あなたの話に耳を傾け、あなたを理解しようと努め、あなたの要望に こたえよう と するはずです。  もし、相手が あなたの話に耳を傾けよう と しない なら、あなたは 間違ったパートナーを 選んでいます。

 

私たちは みな、複雑な感情を持つ存在です。  実際、ほとんどの人は 自分すら 十分に理解していません。  ましてや、自分を 他人に理解してもらうことは 本当に難しいことなのです。

 

 

おわりに」の部分では、こう書かれています。  オーナメント  

 

~~ ある意味で、恋愛は子育てに似ています。  共通しているのは、予想しているほど 生やさしいものではない、というところです。

 

学校では 恋愛の仕方を 教えて くれません。  それは、家庭でも ほぼ同じ です。  恋愛マニュアルを持っている人は いません から、試行錯誤を繰り返しながら、どうすれば うまくいく か を自分で 発見する以外に 方法は ありません。

 

残念ながら、私たちが 恋愛について 信じていること の ほとんど は 幻想です。  恋愛や 結婚する までは、それが 楽しい驚きに 満ちている と 思っています。  ですから、現実は そう甘くない ことを 発見したときに ショックを受ける の です。

 

愛を 長つづき させる ため には、喜んで 努力する必要が あります。  愛しあう関係を 維持する ことは、ときには 労働なのです。  恋愛を すれば、それまで簡単だと 思っていた 多くの ことが 実際には至難のわざ で ある ことに気づく でしょう。

 

恋愛は 大きな喜び と 幸せを もたらして くれます が、うまく いかなければ 悪夢に なります。 ~~

 

 

恋愛でも、友情でも、どういう人と一緒にいるのかは重要だし、おたがいの努力も必要なのね。恋の矢

 

 

 

 

はじめに

 

CHAPTER1  自分らしい恋愛をするために

1 うまくいく恋愛の条件を満たすこと

2 自分にとって最高の相手を見つけること

3 愛をはぐくむこと

4 恋に恋している人を避けること

5 現実をよく見ること

6 比較的よくできた人を受け入れること

7 外見を重視しすぎないこと

8 まず相手と親しくなること

9 親友になれる人を選ぶこと

10 相手の行動を変えようとしないこと

11 気持ちを言葉ではっきりと伝えること

12 自分らしくあること

13 本当の自分を見せること

 

CHAPTER2  今までとは違う恋愛をするために

14 失恋の原因を理解すること

15 失恋をきっかけに自分を磨くこと

16 どのような暴力も受け付けないこと

17 無用な手助けをしないこと

18 現実を考慮すること

19 妥協する能力をつけること

20 相手との相違点を刺激にすること

21 正直になること

22 じっくり話しあうこと

23 いいお手本を見つけること

24 対等な関係をつくること

25 自尊心を高めること

 

CHAPTER3  強い愛情を育てていくために

26 おたがいの愛情を育てること

27 大切なことについてじっくりと話しあうこと

28 健全に依存しあうこと

29 相手の長所を見つけること

30 相手の長所をリストアップすること

31 感謝の気持ちを伝えること

32 愛情をつねに表現すること

33 相手が感動する計画を実行すること

34 相手をたたえること

35 ラブレターで愛を伝えること

36 ほめ言葉を素直に受け入れること

37 毎日、一人で過ごす時間を持つこと

38 いっしょに笑うこと

 

CHAPTER4 いつまでも愛しあうために

39 相手の要望に耳を傾けること

40 日ごろの積み重ねを大事にすること

41 自分の正しさに固執しないこと

42 人前で相手に恥をかかせないこと

43 怒りのほこさきを相手に向けないこと

44 不適切な行動を慎むこと

45 おたがいに歩み寄ること

46 おたがいの感情を分ちあうこと

47 自分の気持ちをつねに伝えること

48 おたがいの不完全さを受け入れること

49 広い心で相手を許すこと

50 無条件に愛すること

 

おわりに

 

 

 

 

「神と怨霊」  竹田恒泰 三上丈晴

 

明治天皇玄孫の作家 竹田恒泰氏と月刊「ムー」の編集長 三上丈晴氏との異色対談。本

 

旧皇族の家に生まれ、神道が日常に溶け込む環境に育ち、神社本庁で神主に神道の歴史を教えたこともあるという私と、世界の謎と不思議に精通する三上さんとの組み合わせが新鮮だったのでしょう。

人智では解明できない数々の現象を掘り下げた対談を本にしませんか? というお話をいただき、実現したのが本書です。

 

 

竹田氏の「ある日、座敷わらしとの同棲生活が始まって…」という話に始まり、「古事記の謎」から「日本の神話」や「神様とは何か?」「竹内文書」まで語り尽くします。

 

小泉八雲が日本に興味を持ったのも「英訳された『古事記』を読んだから」らしいし、私自身「古事記」は あまり読んだことは無かったけど、天照大御神の「天岩戸伝説」とか大国主神の「国譲り神話」は有名な話なので、ときどき見聞きするわね。キラキラ

 

今の時代ならネット検索で あらすじも出てくるし。スター

 

 

はじめに  竹田恒泰  

 

第一章  人知を超えた現象はある!

怪しすぎる世界に30年

ある日、座敷童との同棲生活が始まって…

霊は物質化して人間の姿で現れる

日枝神社で 幽霊と会話した

「誰でも見える霊」と「自分だけにしか見えない霊」

人は「死んだら終わり」ではない

 

第二章  目には見えない世界を探る

東南アジアでは 現代でも「呪詛」がある

崇徳天皇の本を書き始めたら奇怪なことが…

突如として頬から血が噴き出す

崇徳天皇が乗り移ったという祇園の女将

「古事記」には「呪いのかけ方」が記されている

あらゆるオカルトの本質は呪文

政治家も頼る カリスマ霊能力者

「百人一首」は なぜ百人なのか?

「民」とは 片目を針で刺した奴隷のこと?

 

第三章  神様に護られた日本の成り立ち

日本に おける最大のミステリー

神様は すべてお見通し

天皇が奇跡を起こすことは世界的に知られている

 

第四章  「神様」とは何か?

本当は怖いパワースポット

神様と縁のある人、縁のない人

神が人の目に姿を現すことはない

伊勢の神宮で個人的なことを祈ってはいけない

なぜ天皇は国民の幸せを祈るのか?

 

第五章  「古事記」の謎に迫る

「古事記」を知らない日本人

神の子孫が人間なのであり、人間の祖先は神である

日本は「古事記」の時代からデザインされている

歴史は神話を繰り返す

なぜ庶民は江戸時代まで「古事記」を知らなかったのか?

 

第六章  日本の神話と世界の神話

日本の神道と エジプト宗教は似てる

「古事記」と キリスト教には共通項がありすぎる

「古事記」と「聖書」には決定的な違いがある

日本から文明が広まった?

 

第七章  記紀以前の世界

秦氏はユダヤ人だったのか?

弥生時代の始まりが500年早まって考古学が大混乱!

日本人の優れた特色とは?

日本は本当に単一王朝なのか? 王朝交替はなかったのか?

「竹内文書」は荒唐無稽ではあるけれど…

日本人のルーツは朝鮮人というのは嘘

 

第八章  八百万の神の力で日本は再び浮上する

悠紀殿と主基殿は 東日本と西日本の象徴なのか?

八百万の神々は バラバラのようでいて共同体

グローバリズムの先にあるのはローカリズム

「古事記」が事実を反映した所以とは

邪馬台国は畿内なのか、九州なのか?

神の力で戦後の日本は立ち直り、発展を遂げた

神に委ねて生きる

 

あとがき  三上丈晴

 

 

 

 

 

富山大学の前身である旧制富山高等学校の創設に多額の資金を寄付し、初代校長である南日恒太郎氏の懇請により、小泉八雲の蔵書を買い取り、学校に寄贈した馬場はる刀自。  

 

北前船で栄えた東岩瀬の廻船問屋 馬場道久と結婚するが、34歳のとき 夫の道久が40歳の若さで亡くなり、子育てをしながら家業を継ぐ。

 

はるは、長男の正治から高等学校への進学の相談をされたのですが、当時、富山には高等学校が無かったので、金沢や新潟、東京まで出なくてはいけなかったのです。

 

また、遠くの学校に通う となると お金も たくさんかかりますから、多くの家では 進学をあきらめている という話を聞いていたので、自分にもできることはないだろうか との思いを強く持っていたそうです。

 

 

そこで、はるは当時のお金で100万円を富山県に寄付し「富山に7年制の高等学校を設立してください」と願い出たところ、県側では寄付を基に「私立の学校で馬場高等学校にしてはいかがでしょう」と提案されたそうです。

 

しかし、はるは「授業料の高い私立ではなく、中学校から高等学校まで無試験で進める7年制の公立の学校の設立」を強く希望していたため、1923年(大正12年)公立では日本初の7年制の高等学校の設立が認められて、次の年に開校しました。

 

旧制富山高等学校の敷地は東岩瀬の5大家の一つ、米田家の当主 米田元吉郎が寄贈し、同じく東岩瀬の犬島宗左衛門が学生寮『三計塾』を建設、寄贈した。

 

旧制富山高等学校が開校した後も、はるは寄付を続け、総額161万円以上になったそうで、その中には「ヘルン文庫」の購入費も含まれています。

 

 

当時のお金で100万円は、現在の貨幣価値に置き換えると、およそ10億~40億円になるそうで、豪商の馬場家であっても「寄付の額が多すぎる」と非難されることもあったそうです。

 

しかし、はるは「馬場家の先代が苦労して蓄えた財産だからこそ、社会に有効に使ってほしい。 亡くなった先代や私の夫も、きっとそれを誇りに思うことでしょう」と、反対する人を説得したといいます。 

 

旧制富山高等学校は戦後の1950年(昭和25年)に閉校し、新制富山大学文理学部に引き継がれ、1962年(昭和37年)まで、蓮町キャンパスとして引き続き使用し、文理学部が五福キャンパスに統合・移転した後、馬場記念公園(蓮町公園)として整備されることになった。

 

 

 

 

現在でも旧制富山高等学校の門が残されている。

 

 

1995年(平成7年)に、はるの功績を称えて銅像が建立され、2017年(平成27年)には、校舎が移転するまで現地にあった『小泉八雲図書館(ヘルン文庫)』の外観をモチーフに設計した富山市立北部児童館が開館。

 

 

 

 

   

馬場はる刀自像と、旧制富山高等学校の初代校長 南日恒太郎氏像  

 

 

公園の中央には『ヘルン文庫跡』の碑があります。

 

 

現存する馬場家の住宅は、明治6年の東岩瀬の大火の後に以前の部材を用いて再建され、2016年(平成28年)国の登録有形文化財に指定されました。

 

近くに住んでいても「イチョウのキレイな公園」と思っているくらいで、あまり見てまわったことがなかったのだけど、こんなに歴史のある公園だったということを知れてよかったわ。拍手

 

 

 

 

2025年を振り返って何をしていたかというと…… gooブログが終了するので、アメブロにブログのデータを移すのにコツコツと編集していたかな。ニコ

 

10年以上の過去記事を編集するついでに、結構、書き直した記事もあるし。スター

 

今年は読みたい本もあるし、面白そうな展覧会もあるし、まずは仕事を探さないといけないかー。

 

 

 

朝の連続テレビ小説「ばけばけ」のモデルである小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の所蔵していた書籍を、富山大学附属の中央図書館で「ヘルン文庫」と呼ばれ 保存されています。本

 

「ヘルン文庫」という名前の由来は、ハーンが明治23年(1890年)に アメリカから来日し 英語教師として赴任した松江の尋常中学校では「ハーン」の部分が「ヘルン」と聞き取れたようで、学校関係者は「ヘルン先生」、妻のセツさんも「ヘルンさん」と呼んでいたからだそう。ニコ

 

ハーン自身も「ヘルン」という呼び名を気に入っていたようで、「へるん印」のハンコまで作って蔵書印に使っていたところから、ハーンの蔵書を譲り受けた富山高等学校(富山大学の前身)が「ヘルン文庫」と名付けました。

 

 

ところで、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、最初に赴任した 島根県松江から 熊本・神戸・東京へと移住していくのですが、富山には来たことはありません。

 

なぜ「ハーンの蔵書」が富山大学にあるのでしょう?

 

 

ハーンは、明治23年(1890年)に日本に来てから 明治37年(1904年)に54歳で亡くなるのですが、ハーン亡き後、その蔵書は小泉家で大切に保存され、研究者に利用されていました。

 

大正12年(1923年)9月に関東大震災が起こり、多くの貴重な文献が焼失したこともあり、小泉家では「これらの蔵書を一括して安全に保管できる大学へ譲度したい」という意向を強く持っていました。

 

 

ちょうどその頃、旧制富山高等学校(富山大学の前身)の創設準備のため、初代校長となる南日恒太郎(なんにち つねたろう)氏が上京していました。

ハーンの教え子で、ハーンの研究家でもある南日校長の実弟 田部隆次(たなべ りゅうじ)氏から小泉家の意向を聞き、南日校長は すぐに譲度の申し入れをしました。

 

創設される学校に優秀な研究者を集めるには、何としても確保したい蔵書と判断したのです。

 

そうして南日校長は、旧制富山高等学校創設のための資金を寄付した資産家の馬場はる刀自に、蔵書の購入資金の援助を懇請し、馬場家が小泉家から蔵書を買い取り、同校の開校を記念して寄贈しました。

 

現在、旧制富山高等学校の跡地は馬場記念公園になっています。

 

 

ハーンの蔵書を「ヘルン文庫」として所蔵している富山大学では、「ヘルン文庫」の一般公開をしていて、富山大学付属の中央図書館のヘルン文庫前で「ヘルン文庫特別展示 怪談の世界 小泉八雲の作品と再話文学」を開催しているので、「ヘルン文庫」の公開日と合わせて行ってきた。

 

大学の図書館なんて入ったことないから、ちょっとワクワク。音譜

 

 

図書館の5階に「ヘルン文庫」が所蔵されていて、まずは特別展示の「怪談の世界」から。

 

小泉八雲が収集した物語や執筆した本が展示されていて、実物が見れるのは感慨深いわね。拍手

 

展示物をひとまわりして、いよいよ「ヘルン文庫」へ。スター

 

 

「ヘルン文庫」の入り口手前には、小泉八雲関連の書籍が並べられていて、怪談系の本から「ブラタモリ」の本まであったり。キラキラ

 

「ヘルン文庫」の中は、こじんまりとした空間ながら たくさんの蔵書が並んでいて、蔵書の種類には「東京でハーンが亡くなった時に書斎にあった書物」と「1890年にハーンが来日した時、アメリカに置いてきた本」。

 

アメリカに置いてきた本は、ハーンの没後、遺族に返還されたもので ハーン自身は生前 二度と手にすることは無かったが、来日した後に必要になった本を再度、買い直したため同じ本が2冊ある、とのこと。

 

本棚を見てまわると「英和・和英辞典」が使い込まれてボロボロになっていたりして、やっぱり日本語に苦労したんだろうな とか、息子に英語を教えるために、本にルビを振っていたり と微笑ましいものも。ニコニコ

 

 

あとは、せっかく大学の図書館なので他のフロアも まわったりして、法律の本が たくさん並んでいたり、心理学の本とか興味深くて立ち読みしてみたりと、なかなか普段、気軽に入れないからね。音譜

 

DVDの棚には「プロフェッショナル」に、朝ドラの「虎に翼」「ハリーポッター」などが置いてあって、さすがだなーと感心したり、とても面白かったわ。ラブラブ

 

 

高志の国文学館では、NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」放映記念 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)特集を2月23日まで開催中。

 

 

 

 

 

 

柿を収穫していたら、変わった形の柿があったわ。爆  笑

 

今年も たくさん収穫できて よかったね。音譜

 

富山市にある「高志の国 文学館」で開催されている「あなたの知らないシンデレラ展」に行ってきた。音譜 

 

1500点以上の「シンデレラ・コレクション」を持ち、ギネス世界記録に認定された「シンデレラ研究家」で、富山ゆかりの起業家 川田雅直氏のコレクションの中から 世界各国の絵本や絵画などを展示。

 

この展覧会では「シンデレラの謎」を、クイズ形式で進んでいきます。

  

 

 

童話「シンデレラ物語」といえば、継母と二人の姉に いじめられていた「シンデレラ」のもとに、魔法使いが現れて「カボチャの馬車」に乗って お城の舞踏会に行き、急いで帰るときに「ガラスの靴」を落としてしまって、王子様が靴の持ち主を探しに来る…というのが、誰でも知っている 定番のストーリー。乙女のトキメキ

 

 

しかし、この「シンデレラ物語」は 一つだけではなく、世界中に似たような話が たくさんあるそう。

 

世界最古の「シンデレラ物語」が見つかったのは エジプトで、鳥が靴をくわえていってしまい、王様の上に落とした…というもの。サンダル

その靴の持ち主を探しに来て、ピッタリ合った娘と結婚した、というところも「物語」と合っている。

 

「シンデレラ」という名前は「灰かぶり」という意味から来ていて、物語の中で定番の「ガラスの靴をはいたシンデレラ」を描いたのは「ペロー童話」のシャルル・ペロー。

 

「グリム童話」に収録されている「シンデレラ」では、魔法使いが現れるのではなく、父親にもらったハシバミの枝を母親の墓に植えて、成長したハシバミの木に祈っていると、小鳥が豪華なドレスと靴をくわえてきた、など「物語の設定」にも たくさんのバリエーションがあるよう。 スター

 

 

「ペロー童話」では「ガラスの靴」だったのが「グリム童話」では「金の靴」だったり、「お城の舞踏会に行き 12時の鐘に驚いて あわてて帰るときにガラスの靴が脱げてしまった」が、「お城の舞踏会は3日間催されて、毎夜逃げるように帰ってしまうシンデレラが、どこの娘なのか知るために階段にピッチ(接着剤)を塗っておいて靴がくっつくようにしていた」だったり、と ストーリーにもバリエーションがあって面白い。ハイヒール  

 

物語から再現した、実際に はける「ガラスの靴」が展示されていて、(写真とは別デザインの物)「シンデレラ」は「足が小さい」というイメージだったので「足のサイズ、そんなに小さくないな…あせる」とか思ったり、それこそ知らない「シンデレラ物語」が たくさん出てくるわ。目

 

 

それから、中国や韓国、日本にも「シンデレラ物語」があって、日本版シンデレラ「おしん物語」では 魔法使いは「弁天様」で、ガラスの靴は「扇」 王子さまは「若殿」、魔法の効力が消えるのは「夕方6時」で、王子様が「シンデレラ」と証明する方法は「扇の色を当てる」と、和風にアレンジされている。びっくり

 

 

 

 

  

 

100年以上前の絵本の挿絵から再現された衣装が展示されていて、シンデレラのドレスも時代によって違うデザインになっているらしい。ラブラブ

 

「シンデレラ」を題材にした映画・ミュージカルのポスターもたくさんあり、今でも世界中で物語が愛されているんだね。拍手

 

 

それから常設展をめぐってみると、富山ゆかりの作家の本を集めた本がずらりと並ぶ部屋があり、万葉集から「令和」のもとになった詩の展示や立山曼荼羅の展示、藤子不二雄や「気まぐれオレンジロード」の まつもと泉など漫画作者の紹介コーナーもある本

 

NHK連続テレビ小説「ばけばけ」放映記念で小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)特集のコーナーも開催され、書籍や愛用品など展示されていて、結構、常設展の方も楽しめた。ニコ

 

富山大学中央図書館には、小泉八雲の旧蔵書「ヘルン文庫」が収蔵されており、毎月第3水曜日に一般公開していて、12月22日までヘルン文庫前で「ヘルン文庫特別展示 怪談の世界 小泉八雲の作品と再話文学」が開催中。

 

こちらも行ってみるといいね。音譜

 

 

 

 

校下の催しに申し込んで「金沢名所めぐり」に行ってきた。音譜

 

観光バスに乗って、まずは「金沢城公園」から。バス

 

 

 

 

 

「なんか工事をしているわ」と思ったら、「金沢城 二の丸御殿の復元」するための建築工事なのらしい。

 

出来上がったら どうなるのか楽しみだね。目

 

 

 

金沢城公園を まわっていると 外国人の観光の人もたくさんで、着物を着て歩いたりして楽しそう。スター

 

金沢城公園は広いし、たくさん歩いたわ。拍手

 

 

金沢城公園をまわった後は、料亭でお昼ご飯。

 

おしゃべりしながら、いろんなお料理を食べておいしかったわ。ラブラブ

 

 

お昼ご飯を食べた後は、石川県立美術館で 国宝の「色絵雉香炉」などを見学。

 

次には 石川県立図書館に行き、最後に道の駅で お土産を買い、金沢の名所を1日まわってきた。

 

会費は3000円で、一人でいっても こんなには まわれないから、行ってきてよかったね。音譜

 

 

 

 

 

 

雨が降ったら暑さも一段落したようだけど、明日の天気予報では最高気温36℃の予報。

 

涼しくなるのは まだまだ先かな。えー?

 

 

今年の5月に落花生の苗を鉢植えにしていたのを いよいよ収穫。音譜

 

掘り上げてみると結構、実が付いている。

 

収穫した落花生を さっそく ゆでて食べてみると おいしい~。ラブラブ

 

まさに家庭栽培の醍醐味だね。スター

​​​​幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラーの教え」Ⅱ  岸見一郎 古賀史健

 

人は幸せになるために生きているのに、なぜ「幸福な人間」は少ないのか?

アドラー心理学の新しい古典「嫌われる勇気」の続編である本書のテーマは、ほんとうの「自立」と、ほんとうの「愛」。

そして、どうすれば人は幸せになれるか。

あなたの生き方を変える劇薬哲学問答が、ふたたび幕を開ける。

 

 

第一部  悪いあの人、かわいそうなわたし 「教育の目標は『自立』である」から。

 

哲人  さあ、どこからいきますか?

 

青年  いま、わたしが抱える喫緊の課題は、やはり教育です。  教育を軸に、アドラーの矛盾を暴いていきましょう。  アドラーの思想はその根本において、あらゆる「教育」と相容れないところがあるのですから。

 

哲人  なるほど、おもしろそうです。

 

青年  アドラー心理学には「課題の分離」という考え方がありますよね。  人生のあらゆる物事について「これは誰の課題なのか?」という観点から、「自分の課題」と「他者の課題」を切り分けて考える。   

 たとえば わたしが、上司から嫌われているとする。  当然、気持ちよくはありません。  なんとか好かれよう、認めてもらおうと、努力するのが普通です。

 

しかしアドラーは、それは間違っていると断ずる。  わたしの言動、また わたしという人間について、他者(上司)が どのような評価を下すのか。  これは その上司の課題(他者の課題)であって、わたしにコントロールできるものではない。  わたしが どれだけ好かれる努力をしても、上司は わたしを嫌ったままかもしれない。

  

そこで アドラーは言うわけです。  「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではない」。   

 そして「他者もまた、あなたの期待を満たすために生きているのではない」と。  他者の視線に怯えず、他者からの評価を気にせず、他者からの承認も求めない。  ただ自らの信じる最良の道を選ぶ。  さらには他者の課題に介入してはいけないし、自分の課題に他者を介入させてもいけないと。  はじめてアドラー心理学に触れる者にとって、大きな衝撃をもたらす概念です。

 

哲人  ええ。  「課題の分離」ができれば、対人関係の悩みは かなり軽減されます。

 

青年  さらに先生は、こうおっしゃいました。  それが誰の課題であるのか、見分ける方法は簡単である。  「その選択によって もたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰なのか?」。  これを考えればいいのだと。  間違っていませんね?

 

哲人  間違っていません。

 

青年  あのとき挙げた事例は、子どもにとっての勉強でした。  子どもが勉強をしない。  将来を案ずる親は、勉強しなさいと𠮟りつける。  しかし、ここで「勉強しないこと」がもたらす結末 ーーー 要するに希望の学校に進めないとか、就職が むずかしくなるとか ーーー を最終的に引き受けるのは誰か?  とりもなおさず、それは子ども自身であって、間違っても親ではない。  すなわち勉強は「子どもの課題」であり、親が介入すべき問題ではない。  これも大丈夫ですね?

 

哲人  ええ。

 

青年  さて、ここに大きな疑問が浮かんでくるわけです。  勉強は子どもの課題である。  子どもの課題に介入してはならない。  仮に そうだとした場合、「教育」とは なんなのです?  われわれ教育者とは、どういう職業なのです?  だってそうでしょう。  先生の理屈に従えば、勉強を押し付けるわれわれ教育者は、子どもの課題に土足で踏み込む、不法侵入の集まりですよ!  ははっ、どうです、答えられますか?

 

哲人  なるほど。  教育者たちと アドラーについて語り合うとき、ときおり出てくる質問です。  たしかに勉強は子どもの課題である。  そこに介入することは、親といえども許されない。  アドラーの語る「課題の分離」を一面的にとらえると、あらゆる教育は他者の課題への介入になり、否定されるべき行為になってしまいます。  しかしアドラーの時代、彼ほど教育に力を入れた心理学者はいませんでした。  アドラーにとっての教育は、中心課題の一つであるばかりか、最大の希望だったのです。

 

青年  ほう、具体的には?

 

哲人  たとえばアドラー心理学では、カウンセリングのことを「治療」とは考えず、「再教育」の場だと考えます。  

 

青年  再教育?

 

哲人  ええ。  カウンセリングも 子どもの教育も、本質的には同じです。  カウンセラーとは教育者であり、教育者とはカウンセラーである。  そう考えてもらっても構いません。

 

青年  ははっ、それは知りませんでした。  まさか わたしがカウンセラーだったなんてね!  いったい どういう意味です?

 

哲人  大切なところです。  整理しながらお話ししましょう。  まず、家庭や学校での教育は、なにを目標になされるものなのか。  あなたの意見はいかがですか?

 

青年  ……ひと言では語れませんよ。  学問を通じて知識を修めること、社会性を身につけること、正義を重んじ、心身ともに健康な人間として成長していくこと……。

 

哲人  ええ。  いずれも大切なことではありますが、もっと大きなところで考えましょう。  教育をほどこすことによって、子どもたちに どうなってほしいのでしょうか?  

 

青年  …… 一人前の大人になってほしい、ですか?

 

哲人  そう。  教育が目標とするところ、ひと言でいうとそれは「自立」です。

 

青年  自立…… まあ、そうとも言えるでしょう。

 

哲人  アドラー心理学では、人はみな、無力な状態から脱し、より向上していきたいという欲求、つまり「優越性の追求」を抱えて生きる存在だと考えます。  よちよち歩きの赤ちゃんが、二本足で立つようになり、言葉を覚え、周囲の人々と意思の疎通を図れるようになっていく。  つまり、人はみな「自由」を求め、無力で不自由な状態からの「自立」を求めている。  これは根源的な欲求です。

 

青年  その自立を促すのが、教育だと?

 

哲人  はい。  そして身体的な成長のみならず、子どもたちが社会的に「自立」するにあたっては、さまざまなことを知っていかなければなりません。  あなたの言う、社会性や正義、知識などもそうでしょう。  無論、知らないことについては、それを知る他者が教えなければならない。  周囲にいる人間が援助していかなければならない。  教育とは「介入」ではなく、「自立」に向けた「援助」なのです。

 

青年  はっ、何だか苦し紛れの言い訳に聞こえますがね!

 

哲人  たとえば、交通ルールを知らないまま、赤信号と青信号の意味を知らないまま、社会に放り出されたらどうなるか。  あるいは自動車の運転技術を知らないまま、運転席に座らせることができるか。                 

 当然、そこには覚えるべきルールがあり、身に付けるべき技術があるでしょう。  これは命に関わる問題であり、しかも他者の命をも危険にさらすかもしれない問題です。  逆に言うと、もしも地球上に ひとりも他者がおらず、自分ひとりで生きているのだとすれば、知るべきことはなく、教育も必要ありません。  そこに「知」はいらないのです。

 

青年  他者がいて、社会があるから、学ぶべき「知」があると?

 

哲人  そのとおりです。  ここでの「知」とは、学問だけではなく、人間が人間として幸福に生きるための「知」も含みます。  すなわち、共同体のなかで どのように生きるべきなのか。  他者と どのように関わればいいのか。  どうすれば その共同体に自分の居場所を見出すことができるのか。  「わたし」を知り、「あなた」を知ること。  人間の本性を知り、人間の在り方を理解すること。  アドラーは こうした知のことを「人間知(にんげんち)」と呼びました。 ~~~

 

 

第二部  なぜ賞罰を否定するのか「問題行動の『目的』はどこにあるか」から。

 

問題行動の第一段階「賞賛の要求」  親や教師に向けて、またはその他の人々に向けて、「いい子」を演じる。  組織で働く人間であれば、上司や先輩に向けて、やる気や従順さをアピールする。  それによって ほめられようとする。  入り口は、すべてここです。  個別の行為として考えた場合、彼らは なんの問題も無い「いい子」や「優等生」に映ります。  実際、子どもたちであれば 学業や運動に、会社員であれば 仕事に精を出すわけですから、ほめたくもなるでしょう。

 

しかし、ここには大きな落とし穴があります。  彼らの目的は、あくまでも「ほめてもらうこと」であり、さらに言えば「共同体のなかで特権的な地位を得ること」なのです。  その取り組みについて、親や教師、上司や 仕事相手が  いっさいほめなかったとしたら、どうなると思いますか?

 

彼らは「いいこと」をしているのではありません。  ただ「ほめられること」をしているだけなのです。  そして、誰からも ほめられないのなら、特別視されないのなら、こんな努力に意味はない。  そうやって とたんに意欲を失います。

 彼らは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」のだし、「罰を与える人がいなければ不適切な行動もとる」というライフスタイル(世界観)を身に付けていくのです。

 

さらに、周囲の期待する「いい子」であろうとするばかりに、カンニングや偽装工作などの不正行為に出てしまうのも、この段階の特徴です。  教育者やリーダーは、彼らの「行為」だけに目を向けるのではなく、その「目的」を見定めなければなりません。

 

問題行動の第二段階「注目喚起」  せっかく「いいこと」をしたのに、ほめられない。  学級のなかで特権的な地位が得るには至らない。  あるいは そもそも、「ほめられること」を やり遂げるだけの勇気や根気が足りない。  そういうとき 人は「ほめられなくてもいいから、とにかく目立ってやろう」と考えます。  もはや彼らは、ほめられようとは思っていません。  とにかく目立つことだけを考えています。  

ただ、ひとつ注意していただきたいのは、この段階における子供たちの行動原理は「悪くあること」ではなく、「目立つこと」だというところです。  学級のなかで、特権的な地位を得たい。  自らが属する共同体のなか、確固たる「居場所」が ほしい。  真の目的は そこです。   

 

積極的な子供は、社会や学校の ちょっとしたルールを破ること、いわば「いたずら」によって注目を得ようとするでしょう。  授業中に騒いでみせたり、教師をからかったり、しつこく食い下がったり。  決して大人たちの逆鱗に触れるところまでは踏み込まず、学級の道化的な人気者として、教師や友達から愛されることも少なくありません。

 

また、消極的な子供たちは、学力の著しい低下を示したり、忘れものをくり返したり、泣いたりすることによって注目を得ようとします。  「できない子」として振る舞うことで注目を集め、特別な地位を得ようとするわけです。  存在を無視されるくらいなら、叱られるほうがずっといい。  それが彼らの願いです。

 

問題行動の第三段階「権力争い」  ここで彼らの目的は「権力争い」に突入します。  誰にも従わず、挑発をくり返し、戦いを挑む。  その戦いに勝利することによって、自らの「力」を誇示しようとする。 

 特権的な地位を得ようとする。  かなり手ごわい段階です。

 

ひと言でいうなら「反抗」です。  親や教師を口汚い言葉で罵って挑発する。  癇癪を起して暴れることもありますし、万引きや喫煙に走るなど、平然とルールを破ります。  一方、消極的な子供は「不従順」によって、権力争いを挑んできます。  

 

どんなに厳しい言葉で叱られようと、勉強や習い事を拒絶する。  大人たちの言葉に無視を決め込む。  別に、勉強したくないのでも、勉強が不要だと思っているわけでもありません。  ただ不従順を貫くことによって、自らの「力」を証明したいのです。

 

問題行動の第四段階「復讐」  意を決して「権力争い」に挑んだのに、歯が立たない。  勝利を収めることができず、特権的な地位を得ることもできない。  相手にされず、敗北を喫してしまう。  そうして戦いに敗れた人は、いったん引きさがった後に「復讐」することを画策します。  

 

かけがえのない「わたし」を認めてくれなかった人、愛してくれなかった人に、愛の復讐をするのです。

思い出してください。  賞賛の要求、注目喚起、そして権力争い。  これらは「もっとわたしを尊重してほしい」という、愛を乞う気持ちの表れです。  

 

ところが、そうした愛の希求が かなわないと知った瞬間、人は一転して「憎しみ」を求めるようになるのです。  わたしを愛してくれないことは、もうわかった。  だったら いっそ、憎んでくれ。  憎悪という感情のなかで、わたしに注目してくれ。  そう考えるようになるのです。

 

「復讐」の段階に突入した子供たちは、誰からも称えられることはありません。  親や教師はもちろんのこと、級友からも憎まれ、恐れられ、徐々に孤立していきます。  それでも なお、「憎まれている」という一点で、つながろうとするのです。

 

「復讐」の段階に入った子どもたちは、正面きって戦うことは選びません。  彼らは「悪いことを目論む」のではなく、ひたすら「相手の嫌がること」をくり返すのです。

 

わかりやすいところでいうと、いわゆるストーカー行為は、典型的な復讐です。  自分のことを愛してくれなかった人に対する、愛の復讐ですね。  ストーカーとなる人たちは、相手が それを嫌がっていることくらい 十分理解しています。  そこから良好な関係に発展しえないことも、理解しています。  

それでも「憎悪」や「嫌悪」によって、なんとか つながろうと画策するのです。 

 

あるいは また、自傷行為や 引きこもりも、アドラー心理学では「復讐」の一環なのだと考えます。  自らを傷つけ、自らの価値を毀損していくことで「こんな自分になってしまったのは、お前のせいだ」と訴えるのです。  当然、親御さんは心配するし、胸を引き裂かれるような思いに駆られるでしょう。  

子どもたちにしてみれば、復讐が成功していることになります。

 

暴力や暴言がエスカレートするのは もちろんのこと、非行グループや反社会的勢力に入って 犯罪に手を染める子どもたちも少なくありません。  また消極的な子どもの場合、常識では考えられないほど不潔になっていったり、周囲が嫌悪感を抱かざるをえないくらい グロテスクな趣味に耽溺するなど、復讐の手段は さまざまです。 

 

問題行動の第5段階「無能の証明」  「特別な存在」として扱われようと、ここまで さまざまな策を講じてきたものの、どれも うまくいかない。  親も 教師も 級友も、憎むことさえしてくれない。  学級にも 家庭にも、自分の「居場所」を見出せない。

 

でも、親や 教師は、あなたに もっと勉強するように お説教したり、学校での態度や 友だち関係について、事あるごとに介入してくるでしょう。  無論、あなたを援助しようと思って。

 周囲は あなたに もっと がんばってもらいたい と思っている。  やれば できるし、自分の働きかけによって変わるはずだ と期待している。

 

まさに その「これ以上わたしに期待しないでくれ」という思いが「無能の証明」に つながるのです。

 「できるかもしれない」と 課題に取り組んで失敗するくらいなら、最初から「できるはずがない」とあきらめたほうが楽なのです。  そうすれば これ以上の失意に打ちのめされる心配はないのですから。

 

そこで彼らは、自分が いかに無能であるか、ありとあらゆる方法を使って「証明」しようとします

あらかさまな愚者を演じ、なにごとにも無気力になり、どんな簡単な課題にも取り組もうとしなくなる。

~~~

 

 

そして「その問題行動は誰に向けられたものなのか?」「それは『あなた』です」と、「アドラー」は答えています。目

 

~~~ 「アドラー心理学」では、人間の あらゆる言動を 対人関係の なか で考えます。  たとえば、リストカットなどの自傷行為に走る人が いたとき、その行為が なにも ない虚空に向かって なされている とは考えません。  誰かに向けて、自らを傷つけている。  「問題行動」の「復讐」で 見たように。  つまり、あらゆる言動には それが向けられる「相手」がいる と考えるのです。 ~~ 

 

あなたの受け持つ生徒たちが、家庭の中で どんな振る舞いをしているのか。  これは、その家庭の なかに いない われわれ には わかりえません。  しかし、おそらく学校と まったく同じ顔をしている わけでは ないでしょう。  

親に見せる顔と、教師に見せる顔、友だちに見せる顔、先輩や 後輩に見せる顔、すべてが同じ という人はいないの ですから。 

 

その生徒は、「あなたに見せる顔」の仮面を被ったときに、他の誰でもない「あなた」に向かって、その問題行動を くり返している のです。  親の問題では ありません。  ひとえに、あなたと生徒の なか で生じた問題なのです。 

 

ともかく彼らは いま、あなたに向けて「この教師の授業は妨害してやろう」とか「この教師に与えられた宿題は無視しよう」と いった決心をしている。  もちろん、学校では問題行動を くり返していながら、「親の前では いい子に していよう」と決心している場合もあります。

 

あなたの目の前で。  あなたの視界に入るときを選んだ上で。  家庭ではない別の「世界」に、すなわち教室に、居場所を求めている。 ~~~

 

 

私の周りで、私に対して「問題行動」を起こしている人間(システムを含めて)の「行動理由の答え」がそのまま書かれているのが驚き。びっくり

 

大体の人が、2段階目「注目喚起」から3段階目「権力争い」の位置ぐらいで、「システムの人間」だと4段階目の「復讐」だろうか。メラメラ

 

特に 友人だろうが、恋人だろうが、「結婚相手選び」なら、なおさら(親だ、子供だ、という人も多いが)「コミニュケーションを必要とする関係」を、知り合いでもない相手に「こんなやり方」で 求めてこられても、そこに「応える義務」は まったく無いわけだし。パンチ!

 

 

本の中でも「こうなったら もう、利害関係のない、まったくの第三者に助けを求めるしかない、つまり他の教師や学校の外にいる人間、たとえば われわれ のような専門家を頼るしかないでしょう。」

 

「残念ながら、あなたに できることは ありません。  専門家に頼るしかないでしょう。  もっとも、無能の証明をはじめた子供たちを援助していくことは、専門家にとっても困難な道です。」と、書かれているし。鉛筆

 

それこそ「先生と生徒」でもなければ「親子関係」でもないし、「相談できる専門家」もいないので、むやみに誰かの「機嫌取り」に走るのではなく、「他人は変えられない」と思って距離を置くか、関わらないようにするのが一番かな、ということかな。キョロキョロ

 

 

 

第一部

アドラー心理学は宗教なのか

教育の目標は「自立」である

尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと

「他者の関心事」に関心を寄せよ

もしも「同じ種類の心と人生」を持っていたら

勇気は伝染し、尊敬も伝染する

「変われない」ほんとうの理由

あなたの「いま」が過去を決める

悪いあの人、かわいそうなわたし

アドラー心理学に「魔法」はない


第二部

教室は民主主義国家である

叱ってはいけない、ほめてもいけない

問題行動の「目的」はどこにあるのか

わたしを憎んでくれ! 見捨ててくれ!

「罰」があれば、「罪」はなくなるか

暴力という名のコミニュケーション

怒ることと叱ることは、同義である


第三部

「ほめて伸ばす」を否定せよ

褒章が競争を生む

共同体の病

人生は「不完全」からはじまる

「わたしであること」の勇気

その問題行動は「あなた」に向けられている

なぜ人は「救世主」になりたがるのか

教育とは「仕事」ではなく「交友」


第四部

すべての喜びもまた、対人関係の喜びである

「信用」するか? 「信頼」するか?

なぜ「仕事」が、人生のタスクになるのか

いかなる職業にも貴賤はない

大切なのは「与えられたものをどう使うか」

あなたに親友は何人いるか

先に「信じる」こと

人と人とは、永遠にわかり合えない

人生は「なんでもない日々」が試練となる

与えよ、さらば与えられん


第五部

愛は「落ちる」ものではない

「愛される技術」から「愛する技術」へ

愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である

人生の「主語」を切り換えよ

自立とは、「わたし」からの脱却である

その愛は「誰」に向けられているのか

どうすれば親の愛を奪えるのか

人は「愛すること」を恐れている

運命の人は、いない

愛とは「決断」である

ライフスタイルを再選択せよ

シンプルであり続けること

新しい時代をつくる友人たちへ