久しぶりのブログ更新です。
最後のブログ更新は10月23日でしたね。それ以来毎日のように沢山の方がブログに遊びに来てくれていましたが、ブログを書こうという気力がなかなか出なかったのです。また、フェイスブックも更新をするにできない自分がいました。
すごく、支離滅裂は文章になると思いますが、昨日お葬式に出席してホストファミリーに改めて、会って、自分も前に進まなきゃと思って文章に思い出を書き溜めようと思います。
すごく個人的な事なのでスルーしてもらっても構いません。
先週の月曜日に、大好きだったホストファーザーが亡くなりました。メディのイギリス生活だけではおさまりきらず、人生の半分以上お世話になったホストファーザー。
ずっと癌との闘病生活を送っていました。でも、今年に入ってから激変していきました。ホストファミリー宅があるスタッフォード州へ遊びに行く度にホストファーザーの痩せ型に気づいていたけれど、気づかないふりをしていた自分がいます。
癌の末期の痩せ型は自分の親戚で体験してて、メディが子供の頃に伯母の癌で病院へお見舞いに行ったときにすごい痩せてて、子供ながらにその激変ぶりに怖かったというのが今でも記憶に残っています。だから、なるべく2か月に1回の割合でホストファーザーに会いに行くようにしていました。
数週間前から病院へ入院というのは聞いていました。容態はホストマザーの話でなんとなく察していたんで、病院へお見舞いに行けたら行きたいと願っていました。もちろん、病院でだったら子供たちは置いていくつもりでもありました。
でも自宅療養という形になり、もう先は長くないという事が伝わってきました。
自宅に戻り、落ち着いたら会いに行こうと思っていたのでなるべく予定はお家の売買以外は入れないようにしていた矢先、家に戻ってきたけれど容態がすごく悪いというメッセージを貰ったのが金曜日の夜。(先々週)
すぐに、電話をしたらホストマザーがお医者さんからあともっても3週間という宣告を受けたと泣きながらに教えてくれました。泣かないで、明日会いに行くから!と即答で答えて、次の日に家族みんなでスタッフォードまで日帰りで行ってきました。
普段は遠い道のりなので泊まりなんですが、行き、帰りとダンと運転を半分ずつにして運転の負担を軽くしながら日帰りを決行しました。
これが最後だと思ったので、自分たちが買うお家の写真(不動産屋のパンフレットの写真)、ハナが描いたホストファミリーの家の絵を持っていきました。
我が家のお家の売買事情はホストファミリーも知っていました。自分の家を売るのに少し手こずっていたのもホストファーザーが知っていました。だから大丈夫、この家に住めるようになるんだよというのを知ってほしかったので。
子供たちはホストファミリーのお孫さんと外で終始遊んでいました。
部屋にはメディとダンで面会。チューブにつなげられていたけれど、まだ意識があり会話がちゃんとできました。手をずっと握ってて、握り返してくれるのが嬉しかったです。お家の事を伝えたら、I'm happy for you!とも言ってくれました。
少し会話してから疲れさせちゃうといけないので、ちょっと休むようにと部屋を出ました。
部屋では泣かなかったけれど、ホストマザーと話してるとやっぱり二人とも涙がでちゃいました。それでも、我が家が会いに来たことをすごく嬉しがってくれました。
そんな矢先、ホストファーザーの意向で寝室ではなくて、リビングに行きたいという事に。
車椅子でリビングまで行き、つけてるチューブも伸ばし、リビングルームに来てみんなと一緒にひと時を過ごしました。
ホストファミリー宅のリビングルームには庭が一望できる大きな窓があって、外では子供たちが遊んでる様子が見れます。椅子に座り、脚をあげ楽な姿勢でリビングルームで皆と一緒に過ごしました。何もない普段の日常の一部を見せる事ができて会いに来てよかったと思いました。
数時間ほどいてから帰りました。帰りの別れではSee you!だけしかメディは言えませんでした。Byeっていう言葉が言えなかった。でも、これが最後だって本人も、メディもわかってました。
車に乗り込む前にホストマザーとハグしてまた二人で号泣。
帰りの運転の半分はダンに任せました。
その後家に着いてから、ホストマザーが教えてくれたこと。その日には午前中にはスカイプでタイに住む子たち(メディと同じくらい長く知ってる学生の子二人で結婚して子供が1月に生まれる予定)と話ができたそうです。そして午後にはうちの家族が遊びに行きました。
ホストファーザーがI had a lovely day(素敵ないい日だった)って寝室でつぶやいたんだそうです。そう聞いて、日帰り強行で会いに行ってよかったと思いました。
日帰りでもOKと言ってくれたダンにもその日に感謝しました。
それから2日後、永眠しました。
イギリスではお葬式はすぐに行われなくて、だいたい1週間後とかに行われたりします。
黒は着ないでとホストマザーが言ってました。ホストファーザーの人生を祝いたいからって。
だから、日本ではありえない色合いの服で出席しました。
ホストマザーのスピーチがあり、悲しみで少し泣きながらだったけれど、素晴らしいスピーチを聞きました。スピーチではホストファミリーのヒストリー。色々な人生のエピソードの内容でしたが、その中にメディ自身が初めてこのファミリーと出会ったこと、メディの家族などの話もしていただきました。彼らの人生にメディが加われた事、すごく嬉しく思います。だから大切な人の死はすごく悲しくて受け止めるのに少し時間がかかりました。
メディが号泣してるの、子供たちは先週から見てます。お義姉さんにホストファーザーの死を知った日にもお義姉さんの前で泣いてたのをハナは見てます。
ハナは死という事を割とわかってるようです。ユナはまだわかってないみたいで、お葬式に参列してるときにユナがI don't want to die.(まだ死になくない)って言ってました。ユナはまだ死なないから大丈夫と言いましたが、突拍子もない事をまだユナは言います。
それでも、スピーチの時にメディが泣いてた時に子供たち二人とも優しくメディをハグしてくれてたり、涙を拭いてくれたりして側にいてくれてました。
ホストマザーがすごくグイグイ引っ張る感じの性格。ホストファーザーはそれを温かく見守る感じです。でも、あまりにもホストマザーが無茶しそうな時にはそっと手助けしたりサポートしたりしているのを傍から見てもすごく伝わってきていました。そんな夫婦です。
ホストファーザーとの思いでも沢山ありますが、中でも一番覚えてる事。
メディがまだ学生中、ちょっとホームシックや学校であまり上手くいかない時期があって、ハーフタームという1週間のお休みに思い立って日本へ1週間だけ帰る事にしました。急に決めたことでした。
学生だったからお金がなくて、すごい貧乏な渡航日程だったと思います。
行きにも飛行機は遅れたけれど、帰りも遅れました。飛行機が遅れたので帰りのバスに間に合わず、ホテルやB&Bも当たったけれど、巨額な金額を提示されたので、すごく困り果てて、ホストファミリーに連絡しました。夜行のバスがあるんだけれど、今でたらリーズに着くのは夜中の3時とかになってしまう。それで、帰ってきなさい。大丈夫だからと。
夜中、まだ外は真っ暗な時間帯にリーズに着きました。そこで笑顔で出迎えてくれたのがホストファーザーでした。
全然文句も言わないし、突っ込んだ話も聞いてこないし。ただ、家族は元気だった?と聞いてくれただけでした。
無茶な渡航をしてしまい、しかもこんな時間に迎えに来てもらえたという事で嬉しかったけれど、すごく反省したのを覚えています。
イギリスではお葬式はセレブレーションみたいな感じです。その人の人生を祝うみたいな。
歌も歌います。
それから、場所を移してビュッフェ形式の軽食がでたりして、お葬式に出席した人達としゃべったりします。
お葬式の前日に近くのホテルに泊まりましたが、少し軽食を食べたら出る事にしました。帰りの移動で渋滞に巻き込まれないようにと。運転だったので、もちろん飲みませんでした。
割とスムーズに戻ってこれていたんだけれど、最後の最後、リーズへ着くなりに渋滞。夕方のラッシュ時と重なってしまい、混んでなかったら2時間で着くところを3時間半かかり、お家に到着しました。
お家に帰ってきて、夫婦でホストファーザーの人生にプロセッコで乾杯しました。
お家の売買は無事にサインまでこぎつけ、来週の月曜日に引っ越しです!!!!(祝)
引っ越しに向けて、只今お家の中は段ボールだらけ。お葬式と重なり、荷造りができていませんが、気持ちを新たに、新しいお家に向けて進めていきたいと思います。
多くの人がブログに遊びに来てくれていた事とても感謝します。
こんな事情でブログやフェイスブックが更新できませんでした。
今ではふと考えると複雑な思い、懐かしい思い出でいっぱいで涙が出てしまいますが、ホストファミリーが前進してるのに、メディが前進しないわけがいきません。
荷造りします!
また次のブログからはイギリスの引っ越し事情などをとも思っています♪



