鬱々な日 | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

こんにちは。

梅雨空の肌寒い一日。
気候は過ごしやすいけれど、気分的には鬱々。

昨日、帰宅してからの記憶がほぼない。
どうやら脳ミソがシャットダウンしたみたいです。

夕飯、何を食べたんだろうとシンクに残していた洗い物を見てみたらレトルトカレーでした。

今も居間に布団を敷いて寝ているのですが、ちゃんと布団を敷いて寝たらしく、TVは付けっぱなしだったけれど電気は豆電。
中途半端(^^;

変な夢を見ていて目が覚めたのは夜中の3時過ぎ。

なんだかなぁ、な夢。

一時間位布団の中でゴロゴロしているうちに寝たみたいで、またまた変な夢で目が覚めたのは9時位。

なんて日だ。

毎日疲れるなぁ。

でも、生きていなきゃいけないなら、生きるためには自活をせにゃならない。

あ~空からお金が降って来ないかなぁ。
腐るほどお金があったら何をする?

う~ん。
すること?
何もない。
やりたいこと?
何もない。
堕落した日々を送るだけかなぁ。

食うも寝るも忘れた日々もあったけれど、今は腹も減るし眠くなる。

励ましていたつもりの(?)
「俺がいなくてもローザちゃんなら大丈夫」
の呪縛に囚われ罪悪感が湧いてきます。

生かされていることにありがたいと思えない事は『生きたくても生きられない人もいるのだからありがたいと思え論』からすれば罰当たりなのかもしれないけれど、人間の心なんぞそんな単純なものではない。

『知ったような口を利くな』ってヤツよね。

仕方ないから生きているなかでも小さな灯りはポツポツ灯っています。

昨日その一つも見る気持ちがなくても、明日は三つくらい見てみる気持ちになるかも知れない。

ちなみに今日は、買い物にでも行こうかと着替えるまではきたのだけど、気分が乗らず鬱々で終わりそうです。

そんな日もあるさ。