共依存 | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

こんにちは。
暖かいですね。

今日、テレビで『今年は酷暑になると気象庁が予測しています』ととある気象予報士が言っていました。
毎年同じような言葉を聞いているような…。
地球はどうなっていくのでしょうね。

仕事がお休みの今日。
のんびり過ごしました。

佐川サンの証人尋問を流しながらお昼寝をしてみたり。

布団を干したり、洗濯をしたり、暫く手につかなかった掃除をしてみたり、アレンジメントのお花を整理したり。

相変わらず物は減らせずそのままですし、あれとかそれとかやれずにいるのですが。

もう少し元気だったら映画でも観に行こうかなと思ったのですがそこまでは無理だったなぁ。
まぁ、基本が引きこもりだし。

そのかわり(?)録り溜めていた《君が心に棲みついた》の残り2話分をやっと観ました。

キョドコと星名サンの共依存関係が結構理解出来たりする共依存体質な私。

「私は星名サンのお母さんじゃありません」てセリフにめちゃ共感出来たりします。

私とだーさんも共依存でした。
だーさんは私に満たされなかった母の愛を求め、私はその期待に応えてあげなければと必死だった時期があります。
それは心が不健全な関係なのですが、それに気付くまで時間を要しました。

私も、「私はだーさんのお母さんじゃない」と言った事があったけど、私はだーさんに対して子育てしてるような気持ちを持ち続けていたのだから、口だけだったかも知れません。

共依存をやめて心の自立をしなきゃと私は一足先に歩き始めたけど、それがだーさんに孤独感を持たせてしまったのかな、と思ったりします。

支え合うのと共依存は似ているけど違うんですよね。
『自分軸』があっての相手への思い遣りや助け合いと、『自分軸』がない相手への同調は違うんですよね。

それに気付いて貰えたらきっとだーさんは変われると思って頑張ってきたけど、だーさんは気付かないまま逝ってしまったかも知れません。

だーさんを孤独の闇の中に突き落としてしまったのかもと、今も悔いている私がいます。

だーさんを喪ってもまだ境界線が曖昧の私。
しょーがないヤツだと思います。


さぁ、明日からまた早起きです。
寝なきゃ。
土曜日まで、力まず気負わず頑張らずでやろう。