こんにちは。
昨晩は、会社の納会を終えただーさんを迎えに行ったついでに、数人の人を乗せて最寄り駅や自宅近くまで送迎してきました。
最後に下ろす予定だったのが以前よく一緒に釣りに行っていた先輩だったので、私から「良かったら家で呑みませんか?」と声をかけてみました。
結果、我が家で再度乾杯。
私はドライバーをするので呑みませんでしたけどネ。
だーさんも仕事の愚痴を言う場所が必要だと思っていたんですよね。
いくら、私に愚痴を言ったところで私には仕事の事はわからないから。
二人であれやこれやと仕事の事を話ししていました。
だーさんのことを理解してくれる人なので、だーさんも信用してる数少ない人。
だーさんは自分を見せない人だから、うわべの付き合いしかしない中、その先輩にはわりと心を開いているんです。
その先輩もだーさんを信頼してくれているからというのもありますが。
だーさんは
「○○さんもストレス貯まってたよなぁ」
なんてひとごとみたく言ってたけど、私に言わせたら
(いやいや、それ以上にストレス貯まってたのは誰やねん)
です。(^^;
だーさんの会社は個性的な人が多いというか、我の強い人が多いのですが、その個性が良い方向に向かっていた時は良かったのだけど、どうやら最近は悪い方向に向かっているみたいですね。
相手を受け入れるというキャパが狭まってるんだろうなぁ。
今回改めてだーさんが私以外、身内以外の人とサシで話しをしているのをゆっくり観察することが出来たのだけど。
だーさんは、自分が良く思われたい人に対してはその相手の事を凄く察して先回り行動とかしたり、相手が何を考えているのかってことに敏感で、そうでない人には物凄く鈍感というか。
『相手の身になって考える』ということが特定の人物に限定されてるんじゃないかと思いました。
表面上は物分かりの良い人を演じるけど、白黒はっきりしたがるから、腹の中では自分にとって敵か味方かを区分けしているんだぁと思ったりも。
私がずっと違和感を感じていた部分て、ココなのかも知れません。
無神経な事をサラっと言うけど、無神経な人間に対して凄く敏感なこの矛盾。
自分が傷付く事には凄く敏感なんだけど、人を傷付ける事を言っちゃう矛盾。
こういう部分は脳の気質?
それとも育った環境?
これ。
考えてみたら、だーさんのおかーさんもそうなんだよなぁ。
親子かぁ。(^^;
色々考えさせられます。
さて、今日から年末年始のお休みです。
初日から既にネガティブモード?(^^;
「疲れた」「だるい」
の定型語が出ています。
どっと疲れが出たかな?
無事に年を越せることを願います。
本日も訪問頂き有難うございました。(^^)