だーさんの『考え過ぎる人』 | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

おはようございます。

昨日はあんなに暖かかったのに今日は寒い・・・。
私の毛穴、は閉じればいいのか開けばいいのかわからなくて困っています。(笑)

お洗濯をしたけれどお天気はあまり良くなく。
夜までに乾くかなぁ~。

私が昨日帰宅したのは夜の7時半を過ぎた頃。
おうちにいただーさんは、既にお風呂とご飯を済ませていて、のんびりとサッカーを観ながら(TVが点いていただけとも言うw)マンガを読んでいました。
脳みそを休息するためにマンガを読んでいたのかな?という感じ。

昨日もテンションがイマイチ低く。

おバカな事を言っているだーさんは調子が良い時。
それはそれで面倒臭いんだけどwおバカな事を言わないだーさんは調子が悪い時というバロメーターでもあります。

寝る間際に、哲学的な事を言い始めました。

人間は何のために生きるのか。
人間は進化しているけれど、完全体になる日が来るのか。

完全体って?
精神的にも肉体的にも成熟した生き物、という意味らしい。

人として成熟してくるのはある程度年齢がいってからで、でもこれからもっと成熟していこうと思った時には既に年齢がいってしまっているから時間が足りない。

とか、とか、とか。

私は

「人間は完璧でないのが普通で、成熟=完全体というならば、永久的に完全体にはならないだろうと思うし、完全体に近くなれるのはそれを理想化したロボットくらいじゃないのかなあ」

と答えれば

「だとしたら、それは命のない無機質な物、物体である事が完全体ってことになるよね」

「他の動物や植物にも命はあるけれど、そこには生まれて死ぬという単純なメモリー機能しか積んでないけれど、地球という生命体の維持において意味を成していると思う」

「なのに、人間は地球を壊すだけ。自分らの事しか考えていないような人間という生き物は何の為にこの世にいるんだ?」

「俺の言いたい事、わかる?なんとなくわかる?」

「うん、なんとなくわかる」

そう答えるしかないですぞ、私は。

私は『分からないものは分からない』という保留フォルダの容量が沢山あるタイプの人間なので、こういう哲学的な話しになると脳みそからケムリが出てきてしまうのです。^^;


と、そんな事を考え続けていると人間をやめたくなってしまうので、頭をリフレッシュ?させるためにマンガを読んでいたようです。

時々だーさんは、禅問答のような事を考えたり哲学的な事を考えたりするんですよネ。
それがだーさんらしいと言えばだーさんらしいのだけど。

だーさんは、ちょっと不思議ちゃん。
小難しい不思議ちゃん。

単純思考で生きられないだーさんだからうつ病にもなっちゃうのだけれど、それもまただーさんという一人の人間なのですよね。

ただ、不思議ちゃんは不思議ちゃんでも、ポジティブな不思議ちゃん(?)というよりはネガティブな不思議ちゃん(?)なので、時々心配になったりもします。

ある日突然生きる事をやめちゃうんじゃないか、なんて。

少なくとも、一般的構造とは少し違う脳ミソ構造のだーさん。
生き難さを抱えながら生きていくのは大変だろうと思う。

でも、やっぱりできるだけ長い時間一緒にいたいと思うのは私のエゴなのかな?


なぁ~~~~んて考えていたらまた脳ミソからケムリが出てきたので、このあたりでお開きにしたいと思います。

本日も訪問頂きありががとうございました。