リストカッター | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

リストカットをする理由は人によって違うけれど、共通しているのは『自分が嫌い』なのだと思います。

だーさんに「だーさんは自分の事が嫌い?」と聞いた時、「大嫌い」と即答し、涙を浮かべました。

もう、それ以上何も言えませんでした。

だーさんがリストカットをする理由は、自分を罰することで自分を許す、または安心する。
気に入った形に刻み、癒される、または守護する。

タトゥーと何が違うのかと問われると、どうなのかな?
タトゥーに人の名前や好きな柄を刻む事はお守り的な要素があるなら、違いはあまりないのかも知れません。

うつ病になり、一時期強い薬をODしていた時期もあり、その衝動性は止めようもなく、取り上げれば半狂乱となり、渡せば肌身離さないということもありました。

入院も視野に入れましたが、本人がこれも自分を見失うほどに抵抗したため、私が介護するしかなかったのです。

薬物の副作用により、だーさんの脳は少なからず壊れていったのかも知れません。

反抗期のなかった幼少期。
良い子にならなければと甘えを捨て、身を削って生きていかなければならなかった青年期。

大人デビューをすると、弾けてしまうと言うけれど、だーさんもまた大人デビューをして弾けてしまったのかも知れません。

本来、小さな虫にさえ命があるとその命を救う優しさがあり、困った人を救いたいという優しさを持っているのに、憎しみや妬みによる敵意がだーさんを闇に誘います。

自分で自分を傷付けなければならないとはなんて哀しい事なのでしょう。

自分を好きになれない、自分が嫌いというのはなんて寂しい事なのでしょう。


自分が決めて一緒になった伴侶。

辛いことや悲しいことに直面するとどうしたらいいのか悩み苦しみます。

逃げたくて逃げたくて。

でも、逃げていてはいけないという気持ちもあります。

逃げる、逃げないが何なのかすら分からなくなるけれど、もう一回り変わらなければいけないのかも知れないと思うようになりました。

勇気とパワーが欲しい。