モザイクの空と四次元ポケット

モザイクの空と四次元ポケット

2016年の12月にオーストラリアにて出産。産休をとって育児始めました。

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もう1ヶ月以上も更新怠ってしまった。前回の日記を読み返すと、私はエルがジャンクフードを食べることにまだ怒っていたんだなぁ。でも、もう食べたい放題。毎日何種類ものアイスクリーム三昧、ポテトチップス、ゼリー、ビスケット、なんでもあり。

 

5月の上旬にエルは病院に運ばれた。肝臓から多量の出血でもう今晩、明日にでも死ぬかもしれないといい渡された。それから、彼の親戚や友達がどんどん訪れて、1日1日を過ごしているうちに一週間経過。その時点で長くて3週間と宣告された。治療から緩和ケアに移り、最後に家に帰りたいという希望で家に帰って来ました。さらに親戚が国境を超えてやって来て、毎日毎日入り浸るという状態で休むとか家族で過ごすとかそんな状態じゃない。エル母にちくりちくりと嫌がらせを受けるのもストレス。2週間ほどそこで過ごしたあと、隣の家が改築を始めるという大惨事に見舞われる。ものすごい騒音で慌ててエル姉の家に移った。そしてまた2週間、3週間たつ。

 

もう少しだからと、エル母の嫌がらせや彼女がエルを赤ちゃん扱いしてベタベタしているのを我慢して来たけど、数日前にエルとエル母がまるで恋人みたいにベタベタしてるのをみて気持ち悪くて我慢の限界に達した。信じてた夫に不倫相手がいたという気分。それが母だからまたキモイ。エルにははっきりありえないと伝えた。だからと言って私の肩を持つでもなく。

 

そしていいんだか悪いんだか、ドクターがきて、症状が安定していると判断を下した。もちろん、エルが長く生きてくれるのは嬉しいけど、私の生活環境があまりにもひどくて精神的に限界が近づいてる。姉家族も両親に辟易していて、家に来て欲しくないがそれをなかなか理解しない両親。しかも、姉が妊娠したので、できるだけ盾になってあげるしかないか。と思う。こんなに身近な人たちを苦しめるエル母って一体…。エルが死んだら速攻カットだな。私の人生には入って来て欲しくない。

 

 あと何ヶ月我慢しなくちゃいけないんだろう。産休が終わる前に日本に帰れるのかな?

 

死んだら今いるところも引っ越さなきゃいけないし、新しい場所を探すのも時間かかるだろうし、と思うと不安。

 

崖っぷちな時期が人生でたくさんあったけど、崖から半分落ちて途中の木の枝にぶら下がってる気分。

 

最近、少しづつ周りの人にエルの病気のことを話すようになった。話すことによって、ほんの少しずつ事態を認識し、受け入れる心の体制ができて来ているように思える。そして、私はあんな風になってしまったエルに会うのが辛いのだとはっきりわかった。そして、辛いけど、ウーラのためにも会いに行き続けなければならないのだ。

 

エルは、死ぬのだなぁと考えていた時はそれは一瞬にしてくるもののような気がしていたけど、実際、それはゆっくりゆっくり忍び寄って来て、なんだか嬲り殺されているような感じ。これが癌なのか。以前病院で働いていたという友達に話したら、ベッドに座っているだけでもまだいい状態だったんだって思う日が来る。ということを言われた。わかる気がする。エルがおじいさんのようにゆっくりでも歩くエネルギーと気力があった時、私はそんな歩き方をするエルに悲しくなったけど、今になるとまだまだ良かったのだと思うから。

 

こうなってもエルはまだジャンクフードが食べたいらしく、少し健康的ではあるチョコレートやスナック菓子を食べている。いくら健康的と謳っていてもチョコはチョコであり、スナック菓子はスナック菓子なのに。私が毎日届けている人参ジュースは飲まれていたり飲まれてなかったり。もう少し気合を入れて欲しいと思うのは望みすぎなのか?

 

でも今日はウーラに触ってくれたから心が少し穏やかです。

2週間ほど前、エル母企画によりエル姉の家にて息子ウーラの1ヶ月誕生日会があった。本当はもう4ヶ月なんだけど、1ヶ月祝いをする予定の時にエルが調子を崩しておじゃんになったので、仕切り直しですることになったのだ。

その日もエルは不調で、でもエルが姉のところまで歩くというので、ベッドで横になっているエルを残して荷物を持ってウーラと車で出かけた。もう来ないかな?と思ったものの、時間からだいぶ遅れて到着。到着しても、椅子に座って植物人間のように動かなかった。でも私の心は冷たかった。昨日から痛み止めを飲んでいなかった。一昨日の夜に、きちんと痛み止めを飲んでウーラとも触れ合うと話し合ったのに、その側から約束を破棄されて苛立ちでいっぱいだった。

あまりの痛みに座ってもいられなくなって、エル母が泊まっていた部屋のベッドに横になった。エルはずっと寝ていて、私もウーラをお風呂に入れて寝せなくてはならないので帰宅。後でエル姉から連絡があって今日は泊まるとのこと。

 

それから12日目。母に甘えられるからここにいると帰って来ません。それでもあれを持って来て欲しいと連絡が来て1日に2、3往復。合間に授乳と洗濯をしてクタクタで終わる生活。ウーラにも不便をかけて、どこにも連れて行ってあげられなくて申し訳ない気持ちになる。

 

病状はどんどん悪化していて、もうほとんどベッドから起きられない状態。そして食べ物もほとんど取らない。治験に参加すると言っていたけどどう見ても良くなりそうにはない。痛み止めの量だけうなぎ登りにふえている。

 

 

また前の書き込みから時間が経ってしまいました。エルの病状の進行と鬱の影響で、私自身も心のモヤモヤと時折襲ってくる不安でブログを開くことすら出来ない精神状態でした。

 

エルの病状に対して出来ることはもうない、と言われたものの、エルは一生懸命方法を探しているようです。その中で、治験というのがありました。今すぐ応募できるものは、副作用に死というのも入っていたりと、本当に死が近づいてきてるのだなぁ。と、やっとほんの少しずつ私の心がそれを受け入れてきている感じがします。

 

先週一週間ほど入院して、退院はしたものの、ここ二日、エルは痛みでベッドから起き上がれないでいます。一食軽く食べただけでトイレにも立ってません。

 

何もなかったら2、3年と自分で言ったけど、こんなんで1週間も持つのかな。

 

息子は4ヶ月になりました。エルを見ると手を伸ばすので一応父親だと認識しているのかな?生まれてすぐこんな目に合わせて申し訳ないけど、いてくれて良かった。

 

 

 

 

 

 

しばらくブログお休みしてました。
エルのお母さんが帰って、最大のストレスが去って気分が少し上昇した一ヶ月前。
 
一度退院したエルは、それからまた入院をしました。
特に原因はなんだかわからないと。一ヶ月前の入院では、腫瘍から出血をしていたのですが、薬で止血できたので手術なしで帰ってきました。
 
肋骨の下のところが痛いと訴えていて、今回は前回の血液が溜まってるのが何かを圧迫をして痛いのかも?と言っていた。5日間の入院で痛み止めを増やしたり薬を変えたりして調整して退院してきたのですが、さらなる痛みに備えて、モルヒネを注射してくれるローカルナースが派遣されました。
 
ちょうど私が出かける予定の時にそのナースが説明の為に訪問してきて、私はそこにいなかったのですが、あとで聞いたら、痛み止めの話の他に、死ぬ準備のことを話されたとのこと。いつかこういう日が来ると思ってたけど、実際なって見ると、思っていたよりももっともっとショックでした。そしてこんなにショックを受けているのに、まだエルが消えていくことが信じられない、何か実感が湧かない、そんな状態。
 
さらに、赤ちゃんの父親がいなくなってしまうことに申し訳なさでいっぱい。私がこの人を選んだから?でもそうじゃなかったら、彼は存在しなかった訳だし。
 
エルがいなくなったら私はずっと一人?私は誰か他の人を探すのだろうか?想像してみた。多分探すことはないな、と思った。赤ちゃんのことを邪魔に思うかもしれない、と思うととてもそんな気にはなれない。
 
結局私は、ダメだと思う反面、エルが良くなると夢見て、幸せに暮らせると宝くじが当たるより可能性の低いことを期待してたんだな。悲しい気持ちでいっぱいです。