早いもので・・・
気がつけばマナティーゆうことしての活動も
12年が経とうとしています
いやあ・・・歳をとったものだわ
その中で・・・
ふと感じた
昔との違いについて。
私は強みでコンサルをしているので
知識というよりは、
ただただ「わかってしまう」
ということが起きます。
お仕事中以外は
なるたけそのスイッチはオフにして
生きているのですが・・・
まあ、持って生まれた強みなので
ふとした瞬間など、
他人様の問題点が見えてしまって
なかなかしんどい思いをしたりということがあります。
(全く関係ないTVに映ったタレントさんが語り系で悩みとか
話していると・・・あちゃ〜あれだよね・・・とか思う無題な労力)
ついでに
厄介なのは、わかったら言いたくなってしまう
ということでした。
(問題を解決すればよりよい世界に行けると思っていたから)
昔は
私の家族(特に母などは)それによって
かなり被害を受けたと思います
本人、望んでいないのに、
ズバリ、かなり痛いところを
指摘されてえぐられる
(家族に対しては容赦がなかった)
椿が綺麗な散歩道
ゆえに
おのずと、
その時代の私の交友関係は
心理のことを学んでいる人
そいういう指摘をしたりしあったりしても大丈夫な人
(そして問題があまり目に付くと煩わしいので・・・
人間的にあまり心理に問題を抱えてなかったり一通りのことがやり終えている人)
が多かったように思います。
しかし、
12年も経つと・・・
人間、感じ方が変わるものですね
ふと・・・
人に対する感じ方が変わっていることに気がつきました
強みは強みですから
昔のままです
(経験が積み重なった分、さらに強度は増している)
うっかり、問題点が見えてしまう
・・・ということは今も変わりませんが。
それを、
それを問題点として捉えなくなった。
というのが変化です。
昔は問題点を
問題点として見て、それは改善すべきものとして
捉えていたのですが・・・
今は、
それは問題点というよりは
問題なのではなく、
単に原因としてだけ捉えている。
ん〜説明が難しいな
簡単に言うと、
私自身のジャッジが減ったというか
誰かに何かを相談され
その方の行きたい未来に阻害されている
原因があれば
それを問題点として扱いますが、
その他の時は
人に問題点があるとは思えません。
わかりやすい例を出すと
例えば
すごくいい人を演じていて(無意識にね)
人に嫌われないために、自分を犠牲にして
立ち回っている人を見ると
昔は、
それは他人に嫌われたくないと思う
彼女の弱さである
本来の自分とは不自然に乖離している方は
見えていて痛々しいし・・・
本人が楽になるのだから変わるべきでは?
と思ってしまったりもしたのですが・・・
今は、
そんな方を見ても
確かに原因はわかりますが、
でも、それが彼女の個性だと思うし・・・
自分を犠牲にしても乖離をしても続けていることは
むしろ彼女の強さである。
と尊敬をしてしまいます
別に彼女にとっては変わる必要は
ないのかもしれない
変わってもいいし変わらなくてもいい。
それが個性なのだなあ・・・
と自然と思いるように
気づいたら変化していましたね
ちなみに余談ですが
私の場合は
おそらくこれがクリアされない限り
結婚生活の平穏さは存在しなかっのかも?
とも思います。
恋人に問題点の改善を図り
コンサルをする。
そして二人の関係が歪になる
ということもありましたら
今は
旦那は色々、おかしなところもあるけど(笑)
ま、それはそれでいいんじゃない?
(中々、個性的だから面白い)
と、のほほんと思っております。
相変わらず
写真を撮ると変なものを撮ってしまう
私の写真の腕が今回も炸裂
(祖父の葬式でお葬式の写真記録係を任されたら
全てがホラーになってしまって祖母の時は
写真係を解任された経験あり)