1999年4月 画材屋に嫁ぐ


元々接客や営業に関心があったし


デザイン系の仕事もしたことあるし


小売の仕事もしたことあるし




だから高を括って


店頭に立った。




これが私の●紆余曲折波乱万丈人間塞翁が馬●天職への道?の始まりだった。




画材?額?なんだぁ~??


アクリル絵具?なぁあああああんだぁ~?


油絵具の溶き油????ゴマアブラ?じゃダメ?


ニカワ?水干絵具?(スイヒと読むけれど、ミズボシじゃないの?)


マスキング?


不透明水彩?透明水彩?どーーーちがうの?ポスターカラーは?


テンペラ?天婦羅じゃないの?




ホントにホントに


ククッたタカはあっという間に


空高く飛んでいった。




こんな時期


私が


肩身はなさず


ぼろぼろになるまで


持っていた


料理ブックがある












『画材料理ブック』












この本には


一宿一飯の恩義を


心から感じている




お客様への不明瞭な画材の説明に


この本を影でこっそりみながら




そのうち


お客様に


『入りたてで現在勉強中なんです。一緒にこの本を見てください。』


と正直に打ち明けるようになった。




意外なことに、その本まで売れるようになった。




パステル 鉛筆 油絵具 アクリル絵具 エアブラシ 墨絵 カラーインク マーカー 粘土 版画


すべてのジャンルをシンプルでありながら、わかりやすい料理のレシピ風に編集されてある。




まるで 当時の私のために発行されてきた本ではないかっ!!!




運命はほんの少し


光を感じるスタート地点に立った。







1947~1949年生まれ


今一番旬な


団塊世代


である


昨日地域のギャラリーの展開に関係して

町を越え、県境を越え

何人かのアートに携わる方との

会談をさせていただいた


偶然にも

今の私がめざす

この展開に賛同していただき

キーマンとなる方がほとんど

団塊世代なのである




あらためて団塊世代を考えてみると


ロックが理解できる世代

高度成長期日本が世界の日本になる姿を肌で感じてきた世代

バブル期に直面してきた世代

今のカルチャーや娯楽、余暇の楽しみ方を築き上げてきた世代

昭和と平成の変化を第一線で作ってきた世代


などということが挙げられる。


団塊世代を

ただのマーケットとして考えるだけは

もったいない世代であり、

高度成長期バブル期どちらの時代も第一線で生きてきた

骨太の経験広く深い知識と

柔軟な思考力と遊び心を持ち合わせるこの世代の人たちと


手を取り合うことが


今 必要なのかもしれない


とふと思った。






呼吸をすること
喜怒哀楽+与えること
喜怒哀楽+与えられること
これを繰り返して生きていくことが日常

ゴールは?

何かをやり遂げること?
これは生きていくうちの
一つの関門を突破すること
たくさんの関門をくぐりぬけるために
私たちは
知恵を搾り
時間を消費し
今見えかけている関門を目指す

関門の数と
関門の先を
作るのは
自分の生き方

関門の先に
予想外の風景が広がっても
まだまだ
その先に
関門は
そびえ立つ

だから
予想外の風景を
堪能するもよし、
すり抜ける努力をするもよし、
堪能した経験や
すり抜ける努力をしたノウハウが
また一つ先の
関門を超える
技となり
技を使いこなす達人になれる

すべて

すべてすべて

ゴールに向って
行く手は延びている

ゴールにたどり着く前に
できるだけ
たくさんの
技を習得しよう
できるだけ
たくさんの
感情を経験しよう

同じゴールに向っていく
同志と一緒に

これが生きていること
生きていくこと

1920年代アメリカをもう少し
この時代、特にニューヨークで流行した装飾スタイル。クライスラービルディング、キングコングが上ったエンパイヤーステートビルディングなどはアールデコ建築の代表格。

アール・デコ(art deco)とは1925年のパリ国際装飾博をきっかけに興り、1930年代にピークを迎えた装飾様式名のこと。二十世紀のモダンを象徴した様式はヨーロッパだけでなくアメリカでも大流行。
直線と花や唐草、動物、昆虫などの自然を抽象化した流線型の模様からなるアールヌーボー(art nouveau)とは対照的なデザインで、渦巻きや幾何学携帯の模様から成り立つ。
アールヌーボーの時代はヨーロッパ文化の歴史の中で、宮廷文化から産業ブルジョワジーによる都市文化への移行、その象徴としてのアールヌーボー「新しい芸術」は建築、家具、ガラス工芸、ポスターなどのあらゆる生活の中に流行する。しかし、過度の装飾技術や芸術家による一品制作が、大量生産を必要とする時代に間に合わなくなり、衰退していく。その後を担うかのように出現したのが、このアールデコである。
開発されたばかりの新素材(コンクリート、合成樹脂、合成合板、クローム鋼、強化ガラスなど)を使用し、大量生産方式で、ヨーロッパからアメリカへ、日本へと世界中に広まっていくのである。

このアールデコ様式の中で、ニューヨークは繁栄し、数々の建築家、建築物を輩出していく。


前回取り上げなかった映画

ワンスアポンタイムインアメリカ
Once upon time in America

ワーナー・ホーム・ビデオ
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 完全版


この映画の背景もアールデコ建築の中に当時の町並みがしっかりと再現されている。
主演 ロバートデニーロ  彼以外にこの役はいないっと断言できる


とにかく
1919年第一次世界大戦後から10年間
アメリカは空前の繁栄期(パクスアメリカーナ)を迎え、「日の当たるところ」も、「陰の部分」も大きく賑わっている元気な時代なのである。

そんな時代にアールデコは、どんどん大衆の中へ浸透していき、現在にもたくさんの姿を残している。
ヨーロッパのアールデコとアメリカのアールデコの浸透の違いはこの繁栄期にあると思う。

私の言葉でいうと
繁栄のカオスに育った
骨太のアールデコスタイル
だからこそ
20世紀を強く支えてきた様式であり
21世紀を形成する美意識の土台に成り得た
ような気がする。

1920年代 私が一番気になる時代

この時代は世界中が 新しいものと古いものが織りあって、模索の中に生まれてきた独特の文化がある。


アメリカ  ジャスと禁酒法

アルカポネに代表されるマフィア暗黒時代は、たくさんの映画から空気を感じ取れる。

パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
ゴッドファーザー DVD-BOX
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コットンクラブ

ダイアンレインの衣装といい、時のキャバレー『コットンクラブ』に集まる紳士淑女のファッションとマフィアに買われる女のファッションは、どちらも美しい。私は以前このコットンクラブをイメージしたパーティーを『モブナイト』と称して、いろんな国籍の仲間たちで開催したことがある。外国人の男の子たちは、久々の正装に喜んでいたし、私もここぞとばかりのロングドレスを着て、淑女側よりダイアンレイン側を意識したいでたちで盛り上がった。

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アンタッチャブル

↑アルマーニの衣装を身にまとった登場人物のファッションは

ちょいワルオヤジをめざすオトナの男は必見かも!


そんなアメリカだけは1920年を代表する国ではなく



エコールドパリ ※と呼ばれる芸術文化が

パリでは賑わっていた。


以前書いたことのあるhttp://ameblo.jp/rororo163/entry-10007893219.html

モデディアーニをはじめ

マリーローランサンなど数々の自由なアートが古い枠から逸脱していく時代でもあった。


※「パリ派」の意味で、20世紀前半、各地からパリに集まり、ボヘミアン的な生活をしていた画家たちのこと。出身国も画風も多様で流派や画派には所属しない文化ムーブメント


これに関わっている日本人画家 レオナルドフジタこと 藤田嗣治 http://www.momat.go.jp/Honkan/Foujita/index.html

の存在を忘れるわけにもいかない。


そしてそして


ジャンコクトー

レイモン ラディゲ

に代表される パリの詩人・作家たち


この美しくも儚く薄汚れている独特の雰囲気が

パリには満ち溢れていたようだ。


そしてなんと日本人で

この時代をこよなく愛する作家が存在していた


三島由紀夫


三島 由紀夫, 鹿島 茂
三島由紀夫のフランス文学講座

三島文学に傾倒していた20代前半。

Rumi Commonさんの日記で久々に三島熱に火がついた。


彼の文学をすべて読破したわけではなかったので、新しい彼のフランス文学批評本を読んで

思わず

ぎょっとした。


私の趣向やら感覚は知らず知らずに、三島由紀夫に影響されていたんだっ!!


編集にあたったフランス文学者の鹿島茂氏http://homepage3.nifty.com/cassima/

に感謝の気持ちでいっぱいだ。


『三島由紀夫が、別々の時期にさまざまなところで書き散らしたフランス文学論を、作家別、テーマ別に並び替えてみると、いかに三島がフランス文学から大きな影響を受け、それを自らの文学の糧としていたかが手に取るようにわかってくる』

と編者あとがきにあるけれども、編者自体が読みたい、知りたいという気持ちが功を奏した本に仕上がっていると思う。


この本の中でまず最初に引き寄せられた箇所として


1925年生まれの彼が1920年代の憧れと抱く感覚を語る部分。


『狂った年輪にあらわれる1920年代は、私自身が体験しなかった時代でもあるにかかわらず、文学を通して憧れた時代であるだけに、画面のひとつひとつにえもいわれぬ親しみを感じさせられた。』と

1960年のフランス映画を観た感想の中にある言葉で、ふーーっと親近感を覚えてしまった。


この感覚は彼の文学の至るところで、感じ取れると思う。



とにかく


1920年代は


今でも


さまざまなシーンで


生き続けている


強烈な時代であるということを


再認識した。


そして


私自身


1920年代が


永遠の憧れであり、私のDNAに組み込まれている何かが

この時代を何かのサインとして

私に投げかけているような気がしてならない。









今日という日が終わる
明日という日が
今日になる
そして
今日が
昨日になる

こうやって
歴史は
刻まれてきたことを
実感できる瞬間

私は
生まれてきた
この喜びを
誰かに
伝えたくなる

希望や期待を
もつことができる
幸せを
誰かに
伝えたくなる

シリコンバレーにあって日本にないもの。それは若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する「オプティミズムに支えられたビジョン」である。全く新しい事象を前にして、いくつになっても前向きにそれを面白がり、積極的に未来志向で考え、何か挑戦したいと思う若い世代を明るく励ます。それがシリコンバレーの「大人の流儀」たるオプティミズムである。  -梅田望夫著 ウェブ進化論より-






web.2.0を知らなくても


IT用語を理解できなくても


アマゾンやグーグルは知っている。




グーグルと楽天の違いも


そういえばなんとなく


違うかもしれない ぐらいなら


感じることができる




こんなレベルの私が


この本を


webの行方を垣間見てみよう


ぐらいの気持ちで


読んでみて




IT業界に関わる人だけが読む本ではない




と痛感した






今実際に起こっていること


起こりつつあること




最新業界の動向や事情・理由には


たくさん


学べるもの


感じれてるヒントが


たくさん隠れている




例えば


著書の中に


『ロングテールとweb.2.0』


という章がある




ズバリ


中小企業 零細企業は


ここの発想にヒントがある


と感じた




世界政府のシステムをつくろう というグーグルの発想こそ


小さな会社、小さなシゴトで


悪戦苦闘している私たちが


持つべき発想なのでは?


 

もっと具体的で個人的な例で

グーグルではアイデアをたくさん生みおこしても決して評価されない
新しいアイデアには必ずたくさんの解決すべき諸問題が付随していて
問題を解決して“動くもの”になった時点で初めて評価される
この点は当たり前のように聞こえるけれども
私にとって耳が痛い点だと再確認できた

頭ばかりクルクル回ってあれやこれや思いついて
その思いつきに押しつぶされそうになっている私にとっては
ここが私が私自身に課すべき課題が
ヒントとしてサインとして盛り込まれていたことに気づいた

とにもかくにも

ドラマや小説に感情移入して


涙する


感激する


怒る


のと同じように




すっかり


この梅田望夫著の ウェブ進化論 に


どっぷり浸ることができた




それにしても


事実は小説より


もっと先を行っていた






梅田 望夫

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる