アレキシサイミアについて | アダルトチルドレン~いつか本当に籠の外へ~

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アダルトチルドレンになるまで、そしてアダルトチルドレンがゆえに生き辛いと思ってきたこと、
今がんばっていること、できるようになったことをたくさん書いていこうと思います。

☆アダルトチルドレンの思い出☆

メンヘル検定のテキストで、

アレキシサイミア(失感情症)

という言葉があることを初めて知りました。

症状、例えば、

・想像力に乏しく悩みを人に伝えることができない

・感情を言葉にすることが困難である

等という内容を読んで、自分のことではないだろうか?

と思うようになりました。

でも、何となくしっくりこなくて、

しっくりこないのは、そのテキストには、

では、そのような人に対して、具体的にどうアプローチするのが良いのか?

ということに触れられていなくて、

結局は、

社会から置き去りにされた感じがするけれど、

管理監督者はあくまでも、橋渡し役で、個人の問題に積極的に介入・治療できる存在ではないし、

会社という組織の本分からも外れるということが、

しっくりこないと感じているのではないかと思いました。

しかし、最近、私の抱えている問題(私を主語にして話せない)について、

どのような概念が当てはまるのか?と当てはまる用語を探していて、

投影性同一視

という言葉に巡り合ったとき、

アレキシサイミアという言葉が、よく分からなくなりました。

なぜなら、アレキシサイミア単体で存在するものではないような気がしてきたからです。

具体的には、例えば私の場合は、

本音が言葉で伝えられなくて、いつの頃からか、伝える術として、投影性同一視という歪んだ方法を続けている内に、

自己の感情をストレートに言葉にして表現する回路があまり使われず、その結果(状態)が、

アレキシサイミア

と表現するのではないかと思うのです。

その他にも、例えば、先天性の

アスペルガー症候群

についても、その障碍が故に、

アレキシサイミア

であるということもできるように思います。

ならば、

アレキシサイミア

という言葉を特段使う必要性はあるのか?

とさえ思えてきました。

そこで、気を付けなければいけないのは、

あの人は、アレキシサイミアだ!

と、本当にそうだったとしても、

それが、

障碍からきているものなのか?

訓練によって認知を変えられるか?

など、一人一人の状態に合わせて、対応を変えていく必要があるということです。

ちなみに、会話(感情)が話せない相手のことを、どれだけ他者が理解できるか?と考えると、それはとても難しい作業だと思います。