☆アダルトチルドレンの思い出☆
アドラー心理学の本を読んでいて思うのですが、
アドラーの名前は、確かに言われるように、フロイトやユングのようにメジャーな感じはないのですが、
巷のカウンセラーさんたちは、何かしら影響を受けていて、それが基礎となり、類義語に置き換えるなどしているのではないか?という感じがします。
例えば、カウンセラーさんの師匠や、そのまた師匠が、アドラーの影響を受けていたのではないのかとか、
心理学の基礎の基礎の考え方が、実はアドラー心理学だったりとか。
さて、そのアドラー心理学の本の中で、理論としては、いたって当たり前であり、あちこちでよく言われていることなのですが、改めて「私に欠けているのはこういうことなのか」と思ったことを書き留めておきたいと思います。
・自己受容
・他者信頼
・他者貢献
これらが正しく認知できているかどうかが、周りと上手くやっていける、則ち、自身の生き辛さからも解放されるように思います。
今の私が一番取り組まなければいけないことは、
他者信頼
だと思っています。
もちろん、他者貢献については、過剰適応なところを改善していかなければならないし、
好成績で資格取得しなくても、上手く出来ないことがあっても、そういう私として、それが良い悪いではないということも分かるようにならなければならないのですが。
何がきっかけで、人を信頼できないと思うようになってしまったのか?
これが、私の気持ちの中で、ずっと引っ掛かっています。
事実と違うことを、あたかも本当のことのように刷り込まれ、そのことで実社会で不利益を被ったからか?
私の気持ちを無視されたことに対する怒りからか?
物理的に人と接触する機会がなかったために、信頼を学習する機会を損失したからか?
私の気持ちを正確に表現できないし、誤解が生じても訂正できないので、例えば、他者からの提案が、私としては何となく違うと思っていて、それでも無理矢理遂行したところ、やはり上手くいかなくて、結果として他者は信頼できないと思ってしまうからか?
そういえば、この「何となく違う」が、提案者当人が遂行するならば、具体的にどうするのだろう?とか、私には遂行できるだけの技量が無いので無理なのではないのだろうか?とか、それがいつも疑問のままで、無闇に相手の言うことを信じてはいけないと思ってしまうのか?
アドラー心理学の本に、
他者を理解することは不可能で、だからこそ言葉を使うコミュニケーションが重要だ
と書いてあります。
・本当は自分はどう思っているか?というのを知ること
・それを、より近い表現で伝えること
・相手がどう思っているかを引き出すのに、どのように質問すれば近い答えが得られるか?を考えること
これが出来れば、少しは信頼できるでしょうか?