☆アダルトチルドレンの思い出☆
またまたご無沙汰様です。
先日、発達障害のセミナーに参加しました。
主旨としては、今後、普通学級でも、ASDやADHDの児童たちにも公平に対応していくような方向性になるようで、
ここでいう公平とは、違いを皆で認めて、同じ課題を能力に応じて皆で一緒に取り組もうということのようです。
例えば、LDの児童は、百ます計算はできないけど、25ますとか、その子が出来るだけの量をこなして、周りもそれを納得する(あの子だけ少なくてズルい!と思わない)ようなクラス運営や環境作りが必要になってくる
というもので、先生方も、
どうすれば上手くいくか?
という思考が必要になってくるのではないかと思うと、先生方が、勉強以外でどれだけ経験を積んできたか?というところが問われるように思います。
セミナーでは、発達障碍や、擬似的な発達障碍に関する事例をたくさん照会していただいて、ACそして、アレキシサイミアの私としては、共感できることが多かったので、参加できて良かったと思いました。
書きたいことがたくさんにあるのですが、一本にまとめると長くなるので、共感した事例毎に、自身のことで思い出したことなどを含めて分けて書いていきたいと思います。
今日は、
それは、本当に信頼していると言えるか?
です。
ある発達障碍の方(Aさん)が、Bさんから立腹するようなことを言われました。
Aさんは、身を震わせて怒りを表しました。その直後、
Bさんが、「今のは冗談だよ」と言うと、Aさんは、こう言いました。
「Bさんは、嘘をつかない人だ。そのBさんが『冗談だ』と言うのだから、冗談なのだろう。だから、私はBさんを許します。」
この事例を聞いたとき、私が最近経験した出来事を思い出しました。
それは、私がカウンセラーの先生(だけでなく、殆どの人に対してそうなのてすが)を信頼出来ていないことが原因で、カウンセラーの先生との繋がりが切れてしまいそうになったときのことです。
私がこのとき悟ったのは、
誰もが他者の気持ちを変えられない(コントロールできない)ならば、
カウンセラーの先生のことを信頼できないと思っている私を、カウンセラーの先生が、私がカウンセラーの先生を信頼するように変えることは出来ない。
また、カウンセリングは、ラポール(信頼)の上に成り立つものだそうで、
ならば、カウンセラーの先生は打つ手がなくなるし、
カウンセリングも成り立たなくなる。
つまり、私がカウンセラーの先生を信頼しているという意思を示さなければ、その関係性が切れてしまう。
関係性が切れるのを一番恐れているのは、他の誰でもない私なので、切れないようにするためには、信頼することである。
・・・。
これって、本当に信頼していることになるのでしょうか?
ちなみに、セミナーでは、ASDやADHDの児童に対して、最初の1ヵ月で信頼関係を築くことで、後々指導しやすくなると言われていました。
信頼が感覚的に掴めない人に、それを教えるのはすごく大変な作業だと思います。
私自身、未だにカウンセラーの先生を含めて、本当の意味で誰かを信頼しているという感覚がないし、
そうすることは、きっと安心感を得られたり、自分のやりたいことをするのに必要な感覚なのだと思いますが、
今現在分かることは、
そうしないと関係性が切れて怖い思いをする
ということです。
最近は、カウンセリングの時間に取り組む課題(ゲーム理論)で、出来ることが少しずつ増えたので、少しずつ自信もついてきたし、今度はどんな課題をするのかなと楽しみになってきています。
ただ、その自信が実生活での自信に結び付いていないので、そうなったときに、カウンセラーの先生や、他の人のことも、本当の意味で信頼できるかなと思います。