☆アダルトチルドレンの思い出☆
先頃までTBSで放送されていた、とあるドラマ(シーズン1の最後は、何だかホラー映画のようでしたが)の中で、ある理想郷の話が出てきます。
その理想郷は、実はある犠牲の上に成り立っており、
現実も、そういう歪みを含んで均衡が保たれている
これは、あくまで、お話の中のお話として出てくる訳ですから、かなり極端ではあるのですが、この、
歪みを含んで均衡を保つ
という思考は、感情の成せる技なのではないかと思うのです。
例えば、
私は、自分が感情面がよく分からないので、
自分自身のことも、同じ境遇の人たちも、遠い将来、ヒトという種の全てにおいて、脳の機能を(最大限の状態で)継承していくためには、どうしたら良いか?を考えています。
でも、最近読んでいるアスペルガーに関する本で感じたことなのですが、
誰も、積極的な変革には携わろうとしていないのではないかという気がするのです。
歪みを含んで、それで社会とどう均衡を保つか?
別の表現で言うと、これが、
受容
というものに当たるのでしょうか?
世の中の大多数は、そんな風にして生きているのでしょうか?
確かに、触れてはいけないとか、急激な変革が決して良い結果をもたらさないこともあると思います。
例えば、某市長さんが、ある区を特別区とすることに尽力されておられますが、
そこは、何となくですが、本当に改善しなければいけないこともありますが、でも、
それで均衡が保たれている
のではないかという気がします。
決して、今のままが最善だと言っているのではありません。
均衡を保つ
というのは、すごく微妙な関係性ということになるので、急速な変化は、お互いのダメージが大きくなることを意味すると思います。
歪みを含んで均衡を保つ、
これが、ヒトという種のあるべき姿ならば、
私は、一度、私自身が私の存在を受け入れなければならないということになります。
それなくして、変革を実行しようとするならば、
同じように何らかのダメージに襲われるということになるのでしょう。
歪みをなくすのではなく、
歪みを含んで均衡を保つ
理性的な思考で考えると、矛盾を息苦しく感じたり、まるで毎日が綱渡りのようで、そんな緊迫した日々を送ることが出来るだろうかと不安になりますが、
この思考が出来ることが、最終的には生き延びる術ではないのかと思います。