☆アダルトチルドレンの思い出☆
今日、カウンセリングの時間に、
一般的には、
煩わしいことは、自分に降りかかる前に、避けるものだ
と教わった。
自分は、人があまり着手しないようなことでも、
自分が出来ると踏んだら、
華麗なまでに、
とは、言い過ぎか?
とにかく、
何でもないことのように、さらりとやってのけてしまうことがある。
でも、露骨に、
どうだい?すごいだろ?
なんてことは言わないし、もちろん、おくびにも見せない。
仕事なんかの場合は、たいてい皆も出来ることなのに、
周りの皆は、やらないか、やっても二番煎じ、または、しぶしぶ
なんてことが多々ある。
出来るのなら、さっさとやれば良いのに。
出来ることなのに、やらないのは、ある意味バカじゃないかとさえ思ってしまう。
でも、一般的には、
皆が着手しないことは、
彼らが本当にできないか、
さもなくば、
煩わしいから
ということらしい。
煩わしいこと=不快
ということなのだろう。
不快
とくれば、本能的に避けようとするのも納得がいく。
自分は、どうもこの、
煩わしい
という感覚が鈍いらしい。
出来る>煩わしさ
であり、
出来る=名声に繋がる
つまり、承認欲求を満たすなら、例え煩わしくとも、
いや、煩わしいものではない
いかに器用な自分を演出してやり遂げるか?
という思考回路を作り上げてしまったのだと思う。
なぜならぱ、自分が一番嫌悪しているのが、
要領の悪い自分。
だから、人にそんな姿を見られることほど、
おぞましいことはない。
しかし、実際には、周りは、自分のことを認めてくれているわけではなく、
災いが降りかかってこなくて、良かった
としか思っていないそうだ。
な~んだ、バカを見てるのは自分じゃないか。
煩わしいことを煩わしいと感じ、
それらを本当に避けられるようになるまで、
どれだけ要領の悪い自分をさらけ出さなければならないのだろうと思うと、ゾッとする。
しかし、一般的なモノの見方や考え方を会得するには、きっと避けては通れないのだという気がする。