☆アダルトチルドレンの思い出☆
昨日、カウンセラーの先生に、初めて喋った。
「(みんなに)認められたい」
今までも、ずっと思ってきたことだけど、
口に出すのは何だか憚られた。
恥ずかしいことだから。
認められたいって、何様なんだ?
それほどの存在か?
そう思われるのがオチだから。
それに、実際にそれほどの存在でないし。
昨日、カウンセリング中に色々と話した中で、
自分が認められたい
という思いで行動することが、実は、
皆は迷惑している
と再認識した。
再認識というのは、以前も似たような事例で、カウンセラーの先生に説明を受けていたからだ。
SEとして雇われた訳ではないのに、
知っているからというだけで、
誰に頼まれたわけでもないのに、
そのように振る舞うのは、
周りが迷惑すると。
あの時は、
認めて欲しい
という思いがあるから、そう行動してしまうのだという因果関係が分からずにいたけれど、
その時のことだけではなく、今までずっと、それだけのために行動してきたと言っても過言ではない。
今回、憚られたけれど口にした理由は、
誰のためを思ってやろうとしている行為ではない
優しくも何でもない
自分を認めて欲しい
そんな打算的な人間
本当の自分は、そういう醜い気持ちしかない
偽りは、正しくないことだから
だから、本当のことを話した。
今日は、
怖かったけど、
認められたいと何故思うのか?
調べる努力をしようと思った。
承認欲求
と表現するらしい。
以前、マズローの五段階欲求を勉強したことがあるが、少し混乱した。
たしか、社会的承認欲求が満たされないと、自己の承認欲求は生まれない筈だったと思うが。
自分の置かれている状況からすると、
社会的承認欲求が満たされないのに、自己承認欲求のために社会的承認を求めている
ということになると思うが、いったいどういうことなのだろう。
ちなみに、小さい時のことを振り返ると、
幼稚園や学校以外は、自由に外に行けなかったので、
所属欲求は満たされておらず、
安全欲求も、監視されていたという状況下では、あまり満たされてはないと思う。
認めてほしい
という気持ちは、
自己肯定感が低いから
だそうだ。
幼稚園に上がる前も、同い年の子どもたちと遊ぶ機会がなかったためだと思うが、
時々、人と違うことをしてしまい、
要領よくできないことを、親から、情けないというような意味の言葉で非難された記憶がある。
それが所謂、
自尊心を傷つけられ、
自己肯定感の低さへ繋がったのだろうか?
昔のことは、もうどうにもならないとして。
承認欲求を抑える→自己肯定感を高める
ということをしないと、
認められるどころか、
周りに不快な思いさせてしまい、
本末転倒になるのだと思う。
自己啓発は続けながら、
他者に対しては、等身大の自分でいる。
要領の悪い自分を上回るだけの、知識や行動力で過剰にカバーしようという衝動を抑えられるだろうか?
すごく不安だ。