☆アダルトチルドレンの思い出☆
昨晩、ブログを書いていて、ふと気づいたことがあります。
ろろみぃの生き辛さの中心にあるものは、
「嘘」をつきたくないのに、そうしなければならないという、心の中の「葛藤」
なのではないかと思います。
・「○○・・・」と言えば、ろろみぃママを安心させることができるから。少なくとも、機嫌を損ねることはないから。
・「△△・・・」と言えば、お友だちから仲間外れにされないから。
・「□□・・・」と言えば、相手を傷つけずにすむから。
・そして、ろろみぃも傷つかずに済むから。
ろろみぃのやりたいことを、ろろみぃママに干渉されずに実行できるよう、
ろろみぃママと、他者との板挟みで、それを切り抜けられるよう、
他者との距離感が分からなくて、自分が傷つかないよう、
今でも、ろろみぃの本音に「嘘」をつき続けています。
でも、本当は「嘘」をつきたくないから、日常において、積極的に何かをする意欲が湧きません。何もしなければ、むやみに嘘をつくこともないからです。
そもそも、「どうしたら上手くいくか?」という積極的な思考ではなく、安易に「嘘」をついて切り抜けようとしてきたことが、間違いなのではないのか?と思いました。
今のろろみぃの生き方そのものが、間違いなのではないのかと思うと、自分に嫌気がさします。
自分らしく積極的に生きるということは、本来、大変な作業なのかも知れません。
ただ、子供の頃から、そういうことを少しずつ身に付けていると、それが当たり前になるので、大変だとは思わないのだと思います。
それが身に付けられる環境、それは、子供の頃だけに許される「自由」なのではないでしょうか?
ろろみぃは、ろろみぃママの「過干渉」という環境の下、自分のしたいことしたり、言いたいこと言ったり、まずそういうことを考えて良いという「自由」な環境を知らずに生きてきた気がします。
「自由」を得たいがために、「嘘」をつき続けるという歪んだ生き方ではなく、本来あるべき積極的な生き方をするには、今から、そのように生きるには、膨大なエネルギーを必要とするのではないかと思うと、ろろみぃに出来そうな気がしません。