最近、ある人との出会いで、ろろみぃにとって「人と会うこと」はどういうことなのか?を、ずっと考えていました。そのきっかけは、「また、会おうね
」と言われて、ろろみぃの中では、”また”の間隔が長く、相手が誰であっても、頻繁に会うことを好んでいないということが気になったからです。そもそも、ろろみぃにとって、「人と会いたい」という気持ちの殆どが「義務」だということに気が付きました。例えば、仕事上や、友達としての関係性を保つ必要があるから「会う必要がある」と考えることが多いです。
だから、会う頻度は、度々でなくても、関係性を維持できるだけの適切な頻度があれば良いわけで、逆に、その関係性の維持が必要でないと思えば、会わなくても構わないということです。
逆に、「会う頻度が高い」、「すぐにでも会いたい」という衝動は、どういう気持ちから発するものかをというと、それが「楽しい」とか「嬉しい」と感じているからだということに気付きました。例えば、暇さえあればゲームをする人は、それが「楽しい」とか「レベルアップして、(将来的に)喜びを味わえる」から、その頻度が高いわけです。
これを「人と会うこと」に置き換えると、「人と会う(お喋りする)ことが楽しい」と思えば、会いたい衝動にかられ、「会う頻度が高くなる」ということが言えると思います。
では、ろろみぃは、「何故、人と会うことを楽しいと感じられないのか?」というと、ろろみぃが物事を自由に感じ取る機会を奪われていたからだと思います。いつもいつも、ろろみぃママの目と耳を気にして生きてきたから、未だに「ろろみぃの好きにしてよい」という感覚が掴めないでいます。更に、外のつながりの無いことへの恐怖心で、楽しかろうが楽しくなかろうが、「会うこと」を義務化しているような気がします。
こんなことを考えていた時、ろろみぃの頭の中に「ろろみぃママと離れたい」ということが、初めて言葉として浮かびました。そう思った瞬間、心の中に何か、すっとした感覚が広がりました。
まずは、精神的に分離して、ろろみぃの人生を楽しめる日が来るようにしたいです。でも実際は、ろろみぃの心の中を変えるだけではダメです。例えば、棒倒しのゲームで、砂山を外から少しずつ少しずつ崩していくように、「ろろみぃママが、ろろみぃに対して過剰な心配をしなくて済む方法」を練ってから行動しないといけないと思うと、なかなか難しい気がします。