さいとうたかを「ゴルゴ13(535)」 | ロロモ文庫

ロロモ文庫

いろいろなベスト10や漫画のあらすじやテレビドラマのあらすじや映画のあらすじや川柳やスポーツの結果などを紹介したいと思います。どうぞヨロピク。

ノモンハンの隠蔽

息子の裕樹に5億円の遺産相続の条件は人探しだという末期がんで死期の迫った溝口。「フィリピンにいる戦友、大隅源一郎を探し出すこと、そして彼からノモンハンのどこかにある遺品の場所を聞き出して、その遺品を持ち帰ることだ」「ノモンハンってどこなんだ」「外蒙、今はモンゴル国となった場所だ。大隅はノモンハンを経て、フィリピン戦線に送られて消息を絶った」「……」「遺品を持ち帰らなければ、わしは亡くなった戦友に顔向けができぬ」「これは俺には不可能な仕事だ。第二次大戦もフィリピンもノモンハンも知らないんだ」

「知らなければ教えよう。ノモンハン事件は1939年、日中戦争の最中に起きた出来事です。太平洋戦争突入は1941年。そして、ノモンハンの場所は現在の中国とモンゴル国の国境線に位置する草原地帯です」「誰だ、あんたは」「わしの軍人時代の部下、来栖宏之だ。来栖とは互いに死線をさまよい、辛酸をなめつくした戦友でな」「お初にお目にかかります、裕樹さん」「……」「この10年、フィリピンに調査員を送り、大隅源一郎の行方を探りました。そして彼がミンダナオ島に生存している確証を得ました」「……」「来栖の執念は実を結んだ。裕樹、来栖の指示に従って、遺品探しの旅に出るのだ」

(ノモンハン事件は、1939年に現在の中国東北部に当時の日本が建国させた満州国とモンゴル人民共和国の国境のノモンハンで、日本とソ連=モンゴル連合軍との間で起こった局地戦争である。ソビエト軍の近代化された装備や戦車に対し、装備で劣る関東軍は開戦当初善戦した。だがソ連は8月になると大量の軍備を投入して大反撃に転じ、関東軍は壊滅し大敗する。9月16日、モスクワで停戦協定が成立したが、ノモンハン事件の詳細は国民に知らされないままであった)

ガイドを雇って、ミンダナオ島の山奥に行く裕樹と来栖。「日本軍の激戦地となったミンダナオ島、ニューギニア島、レイテ島などに送られた日本兵はノモンハン事件に関わって兵士が沢山いる。圧倒的な米軍の軍事力によって部隊はほぼ全滅。多くの戦友が散っていった。その生き残り、大隅源一郎が現地人と結婚して生存しておる」「……」

大隅と会う裕樹と来栖。「君の父、溝口少尉殿は勇敢で部下思いの人じゃった。わしらはソ連相手にノモンハンで戦った。じゃがわしらの部隊はソ連の総攻撃に遭い、ほとんど全滅してしもうた」「私は父の遺言でここに来たんです。あなたが知っている遺品の在処を教えてください」「遺品とは?」「ノモンハンの地で父から預かったという遺品のことですよ」「やめてくれ。あの時のことを思い返そうとすると必ず頭痛が襲うんだ」「……」

「大隅、焦らず当時の経緯を話してくれ」「ノモンハン事件を終え、生き残ったわしは日本に戻ったが、再び赤紙招集があって、1942年、全員は南方戦線に連れていかれました。ところが溝口少尉は途中の台湾でグラマンの爆撃を受け重傷を負ってしまい、そのまま台湾に残りました」「後から思えば、溝口少尉は台湾に残られて幸運だった。わしや大隅の部隊はこのミンダナオ島に送られ」「地獄を見た」

「まるで雨あられのように降って来るアメリカ軍の艦砲射撃と空爆を食らい、部隊はほぼ全滅した。わしは野戦病院で意識朦朧としておる時、抵抗もでこずに捕虜になった」「私は逃げまわているうちに洞穴に落ちて、命をとりとめたんです。そして臆病な私はこの村で傷を治しているうち、村の娘との間に子供が出来て、この村に住みついてしまったのです」「ノモンハンを経験した兵士はほとんど南方戦線に送られた。そして一握りの仲間しか生存しなかった」「……」「思い出せ、大隅」「……」「思い出すんだ。お前はノモンハンで書記係を務めていた」「そうだ」

思い出す大隅。「8月末、ソ連が総攻撃を仕掛けて、敗色濃厚になった時、溝口少尉が私に革の鞄を託しました。少尉は兵士の大切な証言が詰まっている鞄だから安全な場所に埋めるように言われました。そして埋め終わった後に坂東少佐に撃たれたのです」「……」「幸い、偶然虫よけに網かぶっていたため、顔を見られずに助かりましたが、今でも肩にその時の坂東少佐の撃った弾の破片が入ったままです」「坂東少佐に撃たれたショックで、その時の記憶が喪失したのだな」「……」「どこです、その鞄を埋めたのは」「確か、ハルハ河東岸から4番目の国境標識の下です」「よく思い出したぞ、大隅。あれがあれば戦友も浮かばれる」

ノモンハンのハルハ河に行く裕樹と来栖。「こんな大草原で1万8000人もの死傷者を出した戦闘が行われたのか」「世間やマスコミではノモンハン事件として取り扱ってるいるが、あれは凄惨なノモンハン戦争だった。今から66年前、このハルハ河一帯で、日本軍とソ連モンゴル両軍と武力衝突した。モンゴルはソ連軍と同盟を結んで関東軍と一進一退の攻防を繰り広げていた。そんな時だ。関東軍の参謀、坂東少佐がノモンハンに赴任してきたのは」

「栄光ある関東軍の諸君。私が赴任したからにはこのノモンハンでソ連に甘い顔は見せない。ソ連、外蒙にわが日本軍の屈強さ、勇猛さを見せつけて、国境線を北岸に伸ばす。軍事力をもってソ連を震撼させてやるのだ」

「私は本気でソ連を刺激する気かと驚いた。そして私の不安は的中した。8月28日、ソ連軍による総攻撃が始まり、日本軍は総崩れ。物量、戦車の性能、装備、戦術、どれもが劣っていた。一万もの仲間がこの戦いで散っていった」「あ、あちこちに窪地が」「翌年、わしらは溝口少尉とともに一万を超える戦友をこの窪地で荼毘に付したのだ」

ハルハ河東岸から4番目の国境標識の下を見つけ、穴を掘り始める裕樹と来栖。そこに装甲車に乗って現れる桐谷。「おまえ、坂東に雇われた者だな」「バカなやつらだ。66年前の亡霊を掘り出そうとするから死ぬことになるのだ」「裕樹は関係あるまい。年寄りだけ消せばよいことだ」「甘いな。死人に口なしだぜ」

「坂東、奴はそこまで非情なのか」「来栖さん。坂東少佐は今の」「東西鉄道の会長だ。関東軍の司令官であり、作戦の大失敗を糊塗するべく世間に公表させなかった張本人だ。戦後は素早く転身し責任を追及されるどころか、GHQに取り入って払い下げを扱い、莫大な利益を手にして、一大財閥を形成した鵺のような男よ」「……」「わしは昨年、坂東に会った。そしてこの遺品探しはあくまで戦友の声を届ける目的だということを説明した。だが坂東は猜疑心の塊のような男。己の過去を暴かれると思い込んだ」「それで俺達を狙っているのか」

そこで馬に乗って現れ、銃撃戦の末、桐谷を射殺する来栖に雇われたゴルゴ13。流れ弾に当たって倒れる来栖。鞄を掘り出し、中からレコードを取り出す裕樹。「来栖さん、このレコードに何か秘密があるんですか」自分の鞄を指さし息絶える来栖。ポータブルプレーヤーでレコードを再生する裕樹。<お父さん、お母さん、娘たちも元気ですか。私はノモンハンの戦地においても至って元気であります>(ノモンハンで録音されていたんだ。66年も前に。信じられない)

(1939年当時、満州には日本電電があり、放送関連を一手に担っていた。その中に特別取材班、関東軍報道隊があった。当時でも珍しい円盤形録音機は持ち運び可能で、戦地にも運ばれて録音されていた。兵士が故郷を偲ぶ便りの声や、家族に元気でいると話す内容を、撮影したり録音したしていたのである)

ハルハ河を見つめる裕樹。(戦争という大きな流れに翻弄されても、自分の保身を考える者。未だに死んだ仲間の事を気にかける者。66年前、ここでは色んな人が必死で生きていたんだ。このレコードは日本に持って帰る。彼らが最も大切にしている家族への思い出を届ける事が俺の責務なんだから。日本へ帰ろう、来栖さん)(2005年10月)