石毛博史ベスト10 | ロロモ文庫

ロロモ文庫

いろいろなベスト10や漫画のあらすじやテレビドラマのあらすじや映画のあらすじや川柳やスポーツの結果などを紹介したいと思います。どうぞヨロピク。

石毛博史は市立銚子高では、2年生の時、1987年夏に行われた千葉大会準決勝に進みますが、東海大浦安高に7回コールドで敗退し、秋は県大会準優勝しますが、関東大会で初戦敗退し、1988年ドラフト外で巨人に入団します。

1990年のジュニア日本選手権で中日ドラゴンズの清水雅治にでサヨナラ本塁打を浴びて、1992年から抑え投手としての適性を見出され、防御率1.32の好成績を収め、1993年は当時の球団記録となる30セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得し、1994年にもリーグ最多の19セーブを挙げ、西武との日本シリーズ第3戦は延長戦の末、勝利投手となり日本一に貢献します。

1997年1月14日に石井浩郎とのトレードで、吉岡雄二とともに近鉄へ移籍し、移籍1年目の1977年は先発転向しますが、6月10日の西武戦では先発で先頭打者から5者連続四球で1アウトも取れずに交代となり、2001年は25試合に登板しリーグ優勝に貢献するも、2002年は2試合の登板に終わり戦力外通告を受け、阪神タイガースにテスト入団します。

移籍1年目の2003年にチームが優勝したことで、所属全球団で優勝を経験し、ダイエーホークスとの日本シリーズでも登板を果たし、平成の巨人と平成の阪神の両方で日本シリーズに参加した初めての選手となり、一軍登板のなかった2005年に現役引退を表明し、通算375試合に登板して、34勝29敗83セーブ防御率3.44をマークしたわけです。

10位は18試合に登板して4勝3敗0セーブ防御率4.21をマークした1997年。9位は23試合に登板して0勝1敗1セーブ防御率3.03をマークした1991年。8位は28試合に登板して0勝2敗0セーブ防御率4.09をマークした1999年。7位は23試合に登板して4勝1敗3セーブ防御率3.51をマークした1996年。6位は25試合に登板して3勝1敗2セーブ防御率5.04をマークした2001年。

5位は46試合に登板して2勝4敗1セーブ防御率3.61をマークした2000年。4位は38試合に登板して4勝3敗11セーブ防御率4.07をマークした1995年。3位は52試合に登板して5勝3敗16セーブ防御率1.32をマークした1992年。2位は45試合に登板して5勝4敗19セーブ防御率3.14をマークした1994年。1位は48試合に登板して6勝5敗30セーブ防御率2.96をマークした1993年となるわけです。