佐々木主浩ベスト10 | ロロモ文庫

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佐々木主浩は東北高では2年の夏からエースとして3季連続甲子園大会に出場し3年の春夏はベスト8に進出し、高校卒業後は東北福祉大へ進学し、全日本大学野球選手権では2年と3年の時に2度準優勝し、1989年のドラフト会議で、横浜大洋ホエールズから東北福祉大から初めてのドラフト1位指名を受けた選手となって入団します。

ルーキーイヤーの1990年は16試合に登板して、先発で7試合に登板し、2勝4敗2セーブ、防御率5.85の成績で終わり、1991年は序盤までは先発で起用されることもありましたが、中盤から抑えに抜擢され、58試合に登板し、6勝9敗17セーブ、防御率2.00の好成績を残し、1992年は開幕からストッパーを務め初タイトルである最優秀救援投手に輝きます。

1995年は自身初となる30セーブ越え、防御率1点台を記録し2年ぶりに最優秀救援投手を獲得し、1996年も2年連続となる最優秀救援投手を獲得し、1997年は防御率0点台の活躍を見せ、3年連続の最優秀救援を獲得。1998年も2年連続防御率0点台、史上初の40セーブ越えである45セーブを挙げ、4年連続となる最優秀救援投手賞を獲得し、チームの日本一に大きく貢献し、MVPを受賞し、ニックネームの「ハマの大魔神」はこの年の新語・流行語大賞を受賞します。

1999年は長期離脱が響いて23試合の登板に終わり、シーズン終了後にシアトル・マリナーズで契約し、2004年に横浜に復帰しますが、2004年は25試合、2005年は9試合の登板に終わり、2005年シーズン終了後に現役引退し、通算439試合に登板して43勝38敗252セーブ1ホールド防御率2.41をマークしたわけです。

10位は31試合に登板して3勝1敗10セーブ防御率2.15をマークした1994年。9位は25試合に登板して1勝2敗19セーブ防御率3.18をマークした2004年。8位は23試合に登板して1勝1敗19セーブ防御率1.93をマークした1999年。7位は38試合に登板して3勝6敗20セーブ防御率3.27をマークした1993年。6位は58試合に登板して6勝9敗17セーブ防御率2.00をマークした1991年。

5位は39試合に登板して4勝3敗25セーブ防御率2.90をマークした1996年。4位は53試合に登板して12勝6敗21セーブ防御率2.46をマークした1992年。3位は47試合に登板して7勝2敗32セーブ防御率1.75をマークした1995年。2位は49試合に登板して3勝0敗38セーブ防御率0.90をマークした1997年。1位は51試合に登板して1勝1敗45セーブ防御率0.64をマークした1998年となるわけです。