福原峰夫ベスト10 | ロロモ文庫

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福原峰夫は修徳高から法政大学に進学し、入社した日本通運では2年連続で都市対抗野球に出場し、1981年ドラフト外で阪急ブレーブスに入団。1984年パ・リーグ優勝時の正二塁手で、リーグ公式戦には、自己最多の120試合に出場し、広島との日本シリーズでは全7試合に先発出場し、26打数5安打7打点で、満塁本塁打を含む2本塁打など活躍しますが、同年以外は公式戦100試合以下の出場にとどまり、1992年限りで現役引退し、通算672試合に出場して、2割2分5厘18本塁打67打点7盗塁をマークしたわけです。

10位は26試合に出場し0割5分9厘0本塁打0打点0盗塁をマークした1992年。9位は24試合に出場し3割1分6厘1本塁打2打点0盗塁をマークした1983年。8位は33試合に出場し3割3分3厘0本塁打3打点0盗塁をマークした1982年。7位は59試合に出場し2割1分6厘0本塁打2打点1盗塁をマークした1988年。6位は91試合に出場し1割4分7厘0本塁打1打点1盗塁をマークした1987年。

5位は75試合に出場し1割5分4厘0本塁打1打点0盗塁をマークした1986年。4位は73試合に出場し2割0分0厘0本塁打3打点1盗塁をマークした1989年。3位は95試合に出場し2割1分8厘3本塁打16打点1盗塁をマークした1990年。2位は66試合に出場し2割1分4厘8本塁打17打点1盗塁をマークした1985年。1位は120試合に出場し2割6分8厘6本塁打22打点2盗塁をマークした1984年となるわけです。