奥江英幸ベスト10 | ロロモ文庫

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奥江英幸は岡山東商では、エース、四番打者として1968年の夏の甲子園岡山大会決勝に進出しますが、倉敷工に敗退し、卒業後は日本石油に進み、1970年の都市対抗野球で準々決勝に進みますが、三菱重工神戸に敗れ、1971年の都市対抗野球でも準々決勝に進みますが、丸善石油に惜敗し、1971年ドラフト2位指名で大洋ホエールズに入団します。

1974年開幕から一軍に上がり、主に中継ぎとしてリーグ最多の51試合に登板、6勝を挙げ、1976年には先発に回り、11勝17敗を記録し、規定投球回数に到達し、オールスターゲームにも初出場を果たし、5月には20日の中日戦、24日の巨人戦と2試合連続で完封勝利を挙げ、24日の勝利は巨人の連勝を14でストップさせる試合となりました。

1977年オフに渡辺秀武と共に田中由郎との交換トレードで、ロッテオリオンズへ移籍し、1978年は1勝と低迷し、1979年には9勝をマークし、1980年には自己最高の成績となる13勝8敗を記録し、1982年を最後に引退し、通算283試合に登板して53勝62敗13セーブ防御率4.56をマークしたわけです。

10位は1試合に登板して0勝0敗防御率18.00をマークした1973年。9位は5試合に登板して0勝2敗0セーブ防御率9.00をマークした1982年。8位は20試合に登板して1勝9敗0セーブ防御率4.45をマークした1978年。7位は19試合に登板して2勝5敗1セーブ防御率4.25をマークした1981年。6位は39試合に登板して6勝9敗4セーブ防御率4.92をマークした1977年。

5位は41試合に登板して5勝3敗3セーブ防御率4.82をマークした1975年。4位は51試合に登板して6勝5敗0セーブ防御率3.21をマークした1974年。3位は27試合に登板して9勝4敗1セーブ防御率4.90をマークした1979年。2位は52試合に登板して11勝17敗3セーブ防御率4.09をマークした1976年。1位は28試合に登板して13勝8敗1セーブ防御率5.19をマークした1980年となるわけです。