高倉照幸ベスト10 | ロロモ文庫

ロロモ文庫

いろいろなベスト10や漫画のあらすじやテレビドラマのあらすじや映画のあらすじや川柳やスポーツの結果などを紹介したいと思います。どうぞヨロピク。

高倉照幸は熊本商2年次の1951年に中堅手として春の選抜に出場し、1回戦で浜田高を降しますが、準々決勝となった2回戦では、この大会に準優勝した鳴尾に敗退し、3年時の1952年は甲子園には届かず、高校卒業後に西鉄ライオンズに入団し、1954年は強肩俊足を活かしてレギュラー中堅手となり、球団史上初のリーグ優勝に貢献し、同年の中日との日本シリーズでは、18打数4安打に終わります。

1955年には33盗塁の記録を残し、1956年には35盗塁とチーム最多の数字を残し、1957年からは1番打者に定着し、1956年からは3年連続日本一という西鉄の黄金時代をで築き、1958年の巨人との日本シリーズは26打数10安打3打点と活躍、最終第7戦では2回に同点適時打を放ちます。

1959年はリーグ5位の打率3割0分4厘で初めての3割打者となり、ベストナイン(外野手)に選出され、1961年にはリーグ7位の打率3割0分1厘を記録。1963年には当時の日本プロ野球タイ記録である6本の先頭打者本塁打を放つなど、通算でも16本記録しており、1番打者にかかわらず初球を打ってよく安打を放ったことから、切り込み隊長と呼ばれ、1963年はチームトップの27本塁打を放ちます。

1964年にはリーグ3位の打率3割1分7厘を記録し2度目のベストナインに選ばれ、1966年オフに宮寺勝利(プラス金銭)との交換トレードで巨人に移籍。移籍1年目の1967年はONに続く5番・左翼手を任され、シーズン半ばで故障でリタイアし73試合の出場に終わるが、巨人の独走優勝に大きく貢献し、阪急との日本シリーズでも日本一を決めた第6戦で2点本塁打を放ち技能賞を獲得。同年10月10日の広島戦で通算1500本安打を達成し、さらにこの試合において巨人は2回から7回にかけて日本プロ野球記録となる6イニング連続本塁打を記録しますが、新記録は7回に高倉が打ったこの日2本目の本塁打によって達成されます。

1968年オフにアトムズへ移籍し、外野の控えや代打して活躍し、1970年限りで現役を引退し、通算1793試合に出場して、2割7分6厘168本塁打641打点178盗塁をマークしたわけです。

10位は73試合に出場し2割7分4厘15本塁打44打点1盗塁をマークした1967年。9位は112試合に出場し2割7分6厘5本塁打30打点15盗塁をマークした1958年。8位は120試合に出場し2割7分9厘11本塁打40打点17盗塁をマークした1957年。7位は148試合に出場し2割5分9厘9本塁打58打点35盗塁をマークした1956年。6位は121試合に出場し3割0分4厘5本塁打34打点17盗塁をマークした1959年。

5位は134試合に出場し2割9分4厘12本塁打51打点10盗塁をマークした1962年。4位は136試合に出場し2割7分6厘17本塁打71打点33盗塁をマークした1955年。3位は121試合に出場し3割0分1厘15本塁打37打点18盗塁をマークした1961年。2位は116試合に出場し3割1分7厘16本塁打61打点2盗塁をマークした1964年。1位は143試合に出場し2割5分4厘27本塁打62打点12盗塁をマークした1963年となるわけです。