作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(404)」 | ロロモ文庫

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グルメごっこ(後)

山岡を手伝うと言う岡星。「下ごしらえはどうしますか。頭を落として三枚に下ろしましょうか」「む」「それとも丸ごと調理しますか。串を打つのには小さすぎますから、炭火の上で焼きましょうか。フライパンに油をひいて焼きますか、ムニエルみたいに」「ぬ」「煮てしまうのも面倒でなくていいかもしれません。ショウガと酒と味噌ですかね。味噌仕立ても考えられますが」「むう」「天ぷらと言う手もあります。唐揚げにして南蛮揚げはいかがでしょう」「ぬう」「蒸してみましょうか」

ぬううと叫ぶ山岡。「全部美味しくないに決まっている。東京近辺では10センチくらいのものをコハダと言うがコノシロが正式名だ。コノシロは25センチくらいに大きくなり、それくらいになれば焼いたり揚げたりして食べられる。でも結局、コノシロも酢漬けにしないと味が引き立たない。でかいコノシロにしてもそうだから、10センチのコハダなんか焼いても煮ても美味しくない。ましてや、それよりさらに小さくて5センチしかない新子は料理のしようがない」

「コノシロは焼くと人間の体が焼くのと同じ臭いがすると言われたり、昔は腹切り魚と言って、切腹の時に供えたから縁起が悪いと嫌われたりして、まともな料理の材料として扱われてこなかった。要するにコハダは寿司のネタにして一番美味しい。と言うより、それ以外の料理法では真価が発揮できない魚だ。新子は普通のコハダより小さい。ますます寿司以外の料理では真価が味わえない」

「その通りよ。山岡さん。岡星さんが用意した新子があまりに見事だから、何か寿司以外の美味しいものができると錯覚したのね」「ぬう」「でもいいじゃないの。勝負に負けたおかげで、徳島に行けるんだから」「むう」「私も一緒に行きます」「ぬう」

徳島の料理屋「青柳」の主人である小山を山岡と岡星に紹介する栗田。「では小山さん、お目当てのものを」「承知しました」「はて、この魚は?皮は銀色に光っているけど、その下から身の色が透けて」「ボウゼです」「ボウゼ?」「この辺ではイボダイをボウゼと呼ぶんです」「イボダイ?それにしたら小さいな」「これはボウゼの新子です」「む。ボウゼの新子」

ボウゼの新子の握りを食べる山岡たち。「おお」「イボダイって少し癖があるような印象だったけど、全然癖なんてないわ」「柔らかで膨らみがあって、しっかりとコクのある味だが、鮮やかですっきりしてます」「これこそ新子だからだよ。成長するにつれて味は濃厚になるが、爽やかな味は失われる」

説明する小山。「ボウゼの姿寿司は徳島の三大郷土料理のひとつです。20センチ以上あるボウゼを開きにして、頭もつけたまま姿寿司にしたものです。とても美味しいので、料理屋でも出せるようにしたいと思って工夫したのですが、ボウゼは皮が固いので難しい。ところが、たまたま魚市場でボウゼの新子を見つけ、これなら握り寿司になるんじゃないかと考えたのです。10センチくらいものものが皮も固くなく、身の厚さも程よく、握り寿司にするのに最適です」「でも、とても手間がかかりそうですね」

作り方を説明する小山。「まず、ボウゼの新子を三枚に下ろし、腹骨を取り、さらに細かい骨を抜いてやります。それを塩で5時間くらいしめるのですが、その間、表面に出てくる水を丁寧に拭いてやります。5時間おいて、酢に水と砂糖を加えたもので、塩抜きをしない程度にさっと洗ってやり、次に表面の塩とぬめりを拭き取ります」

「それから冷蔵庫に入れておくのですが、この時の酢加減が大事です。サバみたいに脂の強いものは、酢でしっかりしめても大丈夫ですが、ボウゼの脂はそんなに強くないので、しめすぎないことが大切です。握る直前に表面に包丁目を入れて、スダチの搾り汁をくぐらせます。こうすると味が爽やかに立つんです」

「見事の一言につきるわ。ボウゼの新子は高いんですか」「とんでもない。こんなに沢山あっても500円です。あまり使い道がないので値がつかないのです。でも、どんなに原価が安くても、これを寿司のネタにするのには、お金がかかってしまいます」「それはそうだわ。こんな小さな魚をさいて、小骨を抜いて、塩や酢でしめていたら、人件費が大変。岡星さん、コハダの新子をお寿司のネタにするのだって簡単じゃないでしょう」「勿論です。コハダの新子はボウゼの新子より、もっと小さいですからね」

コハダの新子の作り方を説明する岡星。「腹から割いて、中骨を取って、ガンバラをそぎ落とす。とにかく小さいから大変です。このあと、コハダの場合はザルに並べて塩を振って占めるのですが、新子の場合はそんなことをしたら塩が効きすぎてしまう。だから、立て塩と言って、塩水くらいの濃さの塩水につけるんです」

「それから酢に水に砂糖を加えたもので洗って、表面の滑りを取って、酢につけます。この時の酢加減が大事なのは、ボウゼの新子と同じです。30分くらいつけたら取り出して、手で押して酢を絞り、ザルに並べて、さらに余分の酢を切り、それから器に移して、握るまで冷蔵庫にしまうと言う手順を踏みます」

「ボウゼの新子に劣らない手間のかかり方だわ。他に使い道のない新子を工夫と技術で、あの老人のもう一年と生き延びさせる気持ちを起こさせるほどの極上の握り寿司に仕上げるのも、やはり料理の真髄なのね」「本マグロの最高の中トロを与えられれば、素人でもそこそこ美味しい握り寿司を作れます、しかしコハダの新子で老人を力づけ、来年まで生き延びる気を奮い起こさせることのできる寿司を作るのは、熟練した寿司職人のみです」

「そこに料理の意味があるのね。材料それだけでは食べらないし、食べても美味しくないものを、素晴らしい食べ物に仕上げる。それはグルメごっこでも何でもない。長い間かけて人間が築き上げてきた文化の真髄の一つだわ」「そうです、料理は人類の文化の中でも最も大事なもののひとつですよ」

ボウゼの新子の握り寿司は究極のメニューに加えるのにふさわしいと小山に言う山岡、「折角、徳島まで来たのです。究極のメニューにふさわしい料理はまだありませんか」「山岡さん、なんなのよ」「究極のメニューなんかやめたんじゃないんですか。グルメごっこなんか意味がないって」

ぬうと叫ぶ山岡。「俺はあの新子の寿司を食べて純粋に喜んで感謝していた老人の姿を見て、感動した。それはいいけど、とんでもない取り違えをした。あの老人の態度があまりに純粋で素朴で、新子の寿司自体も一見素朴なので、つい大事なことを忘れてしまったんだよ、一見、単純な素材に見えたコハダの新子の寿司も、実は料理技術の粋を尽くしたものだったということをね」

「そして、料理技術の粋を尽くして、材料の真価を引き出し、食べる人間を幸せにすることは、浅薄なグルメごっこではなく、人生を豊かにする文化そのものだってこともね。そういう真に価値のある料理を究極のメニューとして記録することは見せびらかしでも何でもない、素晴らしい意味のある仕事だよ。最後までやり遂げなきゃ男がすたる」「ああ、よかった」「それでこそ山岡さんですよ」

海原に感謝する栗田。「教えて頂いた通りにしたら、山岡さんは迷いから脱け出すことができました。本当にありがとうございました」「む。あんなクズに青柳のボウゼの新子の寿司は過ぎたものだったな」「お土産です。青柳のご主人にボウゼの新子をしめたものを包んでもらいました。握り寿司を作って、召し上がってください」「余計なことを。徳島に行く楽しみが減るではないか」「では持って帰ります」「ぬ。チヨ。ボウゼを台所に下げておけ」

「むう。栗田さん。ボウゼの新子の握り寿司のおかげで、迷いから脱け出せたよ、しかし、君はどこでボウゼの新子の寿司のことを知ったんだ」「まあ、いいじゃないの」「ぬう」